でいたら、ほんとうの名は「隆さん」だった。
「タイメイ」という人は若い指物師《さしものし》で、やはり東京に何年か出ていたのだが、病気で帰っているという。なんだか亀の名みたいで僕は「リュウさん」の例もあるし変な気がしていたが、字を訊くと「泰明」という立派な名前なのでよけいに面喰《めんくら》った。
「タイメイ」さんは医者のかえりだと言って薬瓶をさげて入ってきた。銘仙《めいせん》の光る着物を長く着て、帯を腰の下の方に結んで、ロイド眼鏡の鼻にあたるところが橋のようになっているのをかけて、顔は島の人に似合わない白さだった。それに様子《ようす》全体に何だかちょこちょこした、椅子に腰かけるにもそこらを歩くにも小腰を落したような、変に柔かい、遊人風《あそびにんふう》なところがあった。
「病気はなんだい」と、檜垣がからかうように訊く。
「え、まア、神経衰弱ですね」と、相手のからかう調子に用心した風で、にやにやして、ちょっと上眼に見る。
「おれは、タイメイが病気だっていうから医者にどんな病気かって訊いてやったよ」と、檜垣がわざとくそまじめに、それからニヤリとして、
「神経衰弱なんかじゃないだろう」
「えへエ、にいさんったらあれだ。そんなんじゃありませんよ」
それで皆が一時に笑いだす。「にいさん」というのは皆が檜垣を呼ぶ言い方だ。「タイメイ」さんは後から何をからかわれるか気にして、窓のところへ音をたてないように寄って、人目につかない用心をしていたが、檜垣が指物《さしもの》の話を持ちだすときゅうに元気になった。よく喋る。目の前に出された置物台の木理《もくめ》をしらべたり、指先で尺をとったり、こんこん台の脚をたたいたりして説明するんだが、その手つきにはどこか真似のできない巧みさがあり、他の人が持ったときよりも彼の手にあるときの置物台が何だか生きて見えるのだった。
檜垣は僕のために島めぐりの案内人をつけようと言って、
「そうだ、タイメイならちょうどよかろう。やつならおもしろい男だし、うってつけだ」
と、話していたのだが、「タイメイ」さんはその話を聞くとすぐに承知してくれた。
二日後の朝 僕はきゅうにうって変った背広服に色変りのズボン姿の「タイメイ」さん(その中には中島泰明という先日とは別の男が顔を出していた)といっしょに島めぐりに出かけた。
神着《かみつき》の部落をはなれると、路は右
前へ
次へ
全21ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田畑 修一郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング