い。
一度、僕はこの二人が放牧に出かけるのについて山へ上ったことがある。それはずいぶん高い場所だった。そこでも二人の争いを見た。昌さんは隙を見て脱けてかえろうとする、民さんはそうさせまいとする。あげくは揉み合いになったが、民さんは小柄だが力があるのだろう、くるりと昌さんを足でからみ倒して馬乗りになり、いきなり昌さんの肩から衣物を脱がせて、むやみとその胸のあたりを抓《つね》るのか引っ掻くのか妙な折檻《せっかん》をする。昌さんの胴の皮膚にはみるみるみみず腫れができた。それは、ただ帰えさないための動作というよりは、もっと執拗なつかみ合いだった。
後で聞くと、昌さんは例の正代の母親にあたる白痴が来ると、ひる間でも近くの社《やしろ》の絵馬《えま》なんかのある建物の中に二人で寝るという。それをまた民さんが気狂いのように怒鳴りつけるということだった。僕は何とも言えない妙な気がした。あの白痴の女にも選ぶということがあり、そして昌さんの方が民さんよりも選ばれたのだろうか。昌さんが民さんを苦が手なのはそういういろんなことがあるのだ、と思われた。昌さんは自分に害を与える者とそうでない者とを敏感に見分ける。害を与えない者には全然の無関心を示す。はじめのうちは、僕を遠くから見るようにしていたが、今は傍にいてもまるで気にとめない風で、僕の見ている前だと、平気で、喰物の桶なんかに手をつっこむ。それでいて、あたりをじつに警戒してさっとやるのだが。
四十日近くいるうちに、僕はだんだん自分のことを忘れて行った。家からは妻の手紙が来て、早く帰ってもらわないと困る、と言ってきた。どの手紙にも、僕がどうしているかということはほとんど書いてなく、困るということだけが書いてあるので、今さらのようにあいつらしいと思った。だが、彼女も憐れむべきやつだと重ねて思った。僕も憐れむべきやつにちがいないが――。神着の檜垣からも手紙をよこした。
「貴兄にくらべると、僕の生活はまるで芝居をしているようなものです」とあった。それはたぶん、毎日村の青年たちを集めて喋っている、それを指すのだろうと思った。しかし、僕のだって芝居だ。どこまでほんとうなのか、ちっともわからない。いったい、おれは何をしてるんだ。何もありゃしないじゃないか。これはこれだけのもの、いくら騒いだってどうにもなりゃしない。眼をつむって歩くだけがほんとうだ、
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