》るいものの中に身を包まれてしまう。が、またもやふいに予知しない原因のわからない鋭い痛みが胸をつき上げてくる。どこから、なぜ。そして次の瞬間にはわかってくる。妻、子、友人、仕事、生活というやつ。自分というもの。そういうものをおれはみんな信じない。何かがおれからそれを信ずる力を抜きとってしまったのだ。そいつに訊いてくれ。――僕はこういう種類のことを次々と胸の中で呟《つぶ》やく。
だが、もう永くは本気でいない。僕はどの嘘も見抜いているのだ。僕の今信じているのはこの気倦るい空気だけだ。
僕のいる家は六人家族だった。主人は阿古村の村長をしていて、ここが役場に遠いところから部落の方に住んでいる。その奥さんは四十あまりの、色の浅黒い眼の大きい、その眼は島の人に独特な倦《だ》る気《げ》で、どこか野生的な感じで、正代という身よりのない娘を相手にバタをつくることから一家の仕事をやっている。他に東京の女学校を出た養子の娘さんがいた。奥さんの姪《めい》にあたるので、部落の方にその実家があり、しょっちゅうそっちへ行っていた。坪田村という所のお医者さんで色の白い、素白《しらふ》のときはよく口ごもっておとなしいが、酒飲みで、そうなるとまるで様子の変る人が時々やってきた。噂では大変な遊蕩児《ゆうとうじ》だという。この医者と養子娘との間は公然の秘密になっていた。お医者さんは鉄砲が好きで、時々パンパンという音が遠くに聞え、それがだんだん近くなると、やがて向うの榛《はん》の木の林から猟犬の駈《か》け下りてくるのが見え、すぐ後からお医者が自転車にのってやってくる。娘さんはもうそのときはたいてい耕地の辺まで迎えに出てくる。時にはさっきまでそこらにいた娘さんが、お医者といっしょに林の方から現われることがある。鉄砲の音は「知らせ」なのかもしれない。僕の眼に映ったお医者さんには、悪い噂とは別に、どこかにむやみと人見知りするような内気さと、良家に育った駄々児《だだっこ》らしいところと、ある目立たない優しさの入りまじったところがあり、一方、子供のときから東京で永い間教育をうけた者が島にいつかされたとなったらこうでもあろうかと思われるような、どこかやり場のない退屈の結果といった緩漫な憂鬱さが感じられた。彼はしばしば猟の獲物を土産に持ってきてくれたので、僕もそのお招伴《しょうばん》にあずかった。
だが、その医者の
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