しそこいらを歩いてこようと言うので、部落の先きの方へ出かけた。僕はどこをどう歩いているのか少しもわからない。ただいちようにうす明い、暗がりのたくさんある部落の間を、一種興奮した心持で「タイメイ」さんについて行った。
 路々あのいきなり暗いところから現われてすっと通りぬけるような人影に会う。でも、いくらか慣れたせいで、僕にもそれが男か女かの区別くらいつくようになった。相手を見きわめるようにぬっと来るのは男で、女はたいてい音をたてないようにして前屈みに速く歩く。「タイメイ」さんは、擦れちがうのが男だとけっして近よらないが、女だと他の男がやるようにぬっと傍へよって行く。大部分は顔見知りとみえて何かしら話す。「タイメイ」さんはまるで僕のいるのを忘れたように忙しかった。そしてかならず「○○館に泊っていますからね、遊びにいらっしゃい」とつけ加えるのだった。
 とうとう部落外れのようなところへ出た。そこらはいくらか路が高手になっているせいかきゅうに月の光りがはっきりして見えた。桃の花が鮮かに咲いていた。戸を閉めきった、庭先きの地面だけがあかるい家の前へ来ると「タイメイ」さんは、ちょっと、と言いおいて小走りにその家の前へ行き、戸を叩いてもう眠っているのを起した。何の用かと思っていると、「もし、もし、タイメイですよ。たま子さんはもうお休すみですか」と言うのが聞えた。僕は少しあっけにとられた。あんなことを言って娘を夜遊びに誘ったりして家の人に怒鳴られやしないかと思った。するうち戸が開いて、母親らしいのが顔を出した様子だった。別に怒られもしない。何か話してる。
「ああそうですか、おやすみのところをすみませんでした」と、「タイメイ」さんはいやに叮嚀《ていねい》に言って引き返してきた。もうかえるのかと思っていたらまた別の方へつれて行った。そして、やはり寝ているのを外から呼び起して、
「もし、もし、飴玉三十銭ほど明日までにこしらえておいてください」
 と言う。家の中からは、もう自家《うち》ではこしらえていません、というようなことを返事している。
「あ、そうですか」と、「タイメイ」さんはまた気がるに引きかえしてきた。そして、
「今の家、けさ来がけに菓子箱を背負った娘さんに会ったでしょう、あの家ですよ」
 と言う。それであんなことを言って様子を探ったんだな、と思った。僕は、のこのこ「タイメイ」さん
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