のひつきりないざわめきによつてよけい強くなつた。誰も彼も上気し、家の中に落ちついてはゐられなかつた。盛子は長い小豆色のぼかしのある羽織の下に、ふくらみのある身体を巧みに隠し、河場からやつて来た義母と並んで戸口に立つて通りを眺めてゐた。今さつき山車《だし》がそこを通つたばかりであつた。山車の屋上では狐忠信の人形が黒い眉を上げ、口をへの字に曲げ、腕を構へて造花の中に立ちながら、揺れて思ひがけない風に頭を振り、提灯と小旗の下を過ぎて行つた。と思ふと、そこの曲り角のあたりで拍子木の音が起り、山車はとまつて、乗つてゐた踊り子が山車についた舞台の上で扇をかざし、きつかけを外して囃《はや》し方《かた》をかへりみて恥しげに笑ひ、あらためて又とんと板を踏み鳴らし、何かの踊りをはじめるのが見えた。間もなくそれも遠くへ行つてしまつたが、人はざわざわ行つたり来たりしてゐた。そこらでも、こゝらでも、遠くでも、絶えずどよめきの音が聞えてゐた。
 あの紙衣裳を着た神主達は今どこを歩いてゐるのだらう。どこかの空地で、ばさばさ音をたてる袖口をたくし上げて、握飯をほゝばり、お茶を啜つてでもゐるだらうか。きまりは、町の端々から通りといふ通りは、どんなところでも歩かねばならないのだ。昨日まで迂散《うさん》臭い顔で紙衣裳を眺め、触つてみようともしなかつた房一は、いよいよ着こむときになると案外な度胸を示した。ボール紙の冠をかぶり、紐を顎の下できゆつと結ぶと、肉づきのいゝ顔を一寸ひきしめて、どうだ! といふ風に盛子に擽つたさうな目をくれた。それはとにかく珍妙ないでたちにちがひなかつた。が、しかし、たとへ紙にもせよ、一定の式服といふものの持つ効果はたしかにあつた。それは本物のそれのやうではなかつたにしても、とにかく何かしら堂々としてはゐた! そして速製の「威儀を正した」顔さへ自然と誘ひ出しさうであつた。
 盛子は上から見、下から見しながら、
「馬子《まご》にも衣裳つて云ふから――」と云つたほどである。
 が、ぴんと張つた肩衣のためによけい幅広く見える後姿で、木箱のやうな沓《くつ》をがたつかせ、戸外の明い日ざしの中でその紅い滲んだ紙色をまざまざと照し出されながら、歩いてゆく房一を見送つたときには、紛ふことなき珍妙さが、しかも「堂々」と歩いてゐる形だつた。そして、百何十人もの老壮若の戸主達がこのばさばさした紙で着ふくれ、列をなして歩くときの様子は、まさに観物にちがひない、といふ実感を抱かせたのである。

 その頃、紙衣《かみこ》の神主達の行列は町からかなりはなれた河向ふの路をぞろぞろ歩いてゐた。
 各区内から繰り出された行列はちやうど正午少し前に上手の小学校に集合し、一斉に万歳を奉唱し、中食をすませて更に町内を練り歩くことになつてゐた。はじめから主だつた町内を歩くのでは照臭《てれくさ》くもあつたし、且つは又家の少いところを先に済ませてしまはうといふ考へから、紙着の一隊は先づ手はじめに河向《かはむかふ》へ繰り出したのであるが、それが失敗の基だつた。路は近さうに見えて案外遠かつた。大体いゝ加減なところから引返して来はしたものの、なにしろ足はめつたにはいたこともない木箱につゝこんでゐるのだつたし、十一月とは云へ日に照りつけられ、汗ばみ、埃をかぶり、紙衣はがさがさして歩きにくいことこの上もなかつた。そして、笏《しやく》を胸のところに両手で捧げ持ち、多少とも気を張つて真正面をむいて歩くのは、かなり努力の要ることだつた。しまひには、木箱の中で突つかける指先きに豆ができたばかりでなく、薄い板片れでつくつたその沓底は割れるものが続出し、中には様子を見ながらつき添つて来た男に家まで草履をとりに走らせた者があつた位だつた。
 かうして、予定の時刻を大分遅れて小学校の校庭に辿りついた時には、腹は空くし全く放々の態であつた。が、遅れたのはその一隊ばかりでなく、所々で踊りを見せながら山車《だし》を引つ張つて来る組も、他にも大分遅れる組があつた。で、彼等は気をとりなほして万歳を三唱し、直ぐに思ひ思ひの所に散らばつて焚出《たきだ》しの握飯をほゝばつた。もうこゝは町内であるから、たくさんの見物人が集つて来てゐたが、午前の一歩きですつかりへこたれ、埃で顔が黒くなり、疲れた彼等は、そのおかげでもう照臭さも何もなかつた。
「あゝ、えらかつたなあ」
 徳次は、両手に海苔まきとゴマをまぶした握飯と二つとも慾ばつて持ち、紙の袖をいやといふほどたくし上げ、冠をどこかへ脱ぎすてたので、いがくり頭ときよろりとした眼とを何かむき出した風に目立たせながら、足を踏んばつて云つた。
 房一は、行儀よくまだ冠を頭にのつけたまゝの小谷と練吉と並んで板切れの上に坐つてゐた。
「徳さん、君は草履ばきぢやないか」
 と、小谷が徳次の足に目をつけて云つた。どこで手に入れたのか、徳次は白い紙緒の藁草履をちやんとはいてゐた。
「へゝえ、わしらは用意がえゝですからね、あんな蜜柑箱みたいなもんはすぐこはれるにきまつてるから、家を出るときこゝにつけて来たんでさあ」
 と、腰をたゝいてみせた。そこにはまだ一足、紙衣の下からはみ出すやうに、ぶら下つてゐた。
「あゝ、まだ持つてる!」
 と、小谷は目を丸くした。欲しさうだつた。すると、逸早く、
「それをよこしたまへ。二足なんていらんよ」
 と、練吉が引つたくるやうにとつてしまつた。
 徳次は明かに房一にくれようと思つてゐたらしかつた。で、間が悪さうにそこに立ちはだかつたまゝ、あのきよろりとした目でしきりに練吉と房一を見くらべてゐた。
 腹に物がつめこまれると、さつきはあんなにへたばつてしまつた神主の一隊もどうにか元気がついたやうであつた。これからいよいよ町通りである。自分の家の前を、妻子や使用人達がずらりと見物してゐる中を、しやちこ張つて、堂々と歩かねばならないのである。で、大半はいつのまにか草履や下駄にはきかへてゐたものの、まだあの木箱をひきずるがらがらいふ音をたてて、紅い色の滲んだ、紙衣の神官達は、笏を前に構へ、気を張つて真正面を向いたまゝ繰り出して来た。俳優で云へば、まさに花道の出にさしかかつて来たところである。
 だが、彼等が危ぶみ、恐れ、半ば期待してゐたやうに、歩いて行く両側はこんなに町に人がゐたかと思ふほど黒山のやうな人だかりであつた。見覚えのある顔が、真紅になつて笑ひこけ、指さしをし、何か囁き合ひ、子供達は日頃馴染めなかつた大人達がこんな風変りな恰好で歩くのを見てすつかり有頂天になり、わいわい云ひながら行列につきまとつてゐた。しかしながら、神官達の方にも案外な度胸ができてゐた。お揃ひの恰好といふ点だけでなくとも、かういふ風に観物にされるのは一人ではなかつた、誰しも忍び笑ひから免れることはできない。その意識が今や共通した一箇の仮面のごときものを与へ、まさにそれが行列を形造つてゐたのである。どういふものか、誰もが皆生真面目な顔をしてゐた。小谷には紙ながら衣冠束帯がよく似合つてゐた。が、誰よりも一番似つかはしかつたのはあの老来なほ矍鑠《くわくしやく》とした端正な鍵屋の隠居、神原直造であつた。恐らく疲労からであらう、彼はさつきからにこりともしてゐなかつたが、それがなほのこと一種の威儀を具へるのに役立つた。臆病げに伏目になつた堂本と背の低い痩せた庄谷には、衣裳が大きすぎて、何だかばくばくしてゐたが、二人とも大真面目だつた。(千光寺さんだけは代りに寺男が出た)そして、徳次でさへ、あのきよろりとした眼で方々を見ることなしに、口ももぐもぐさせずに固く噤《つぐ》み、そのために突きとがらせた風になつてはゐたが、やはり正面を向いてゆつくりと行列の歩調に合せて歩いた。
 行列がずつと町外れの立岩のところまで行つて、そこで一休みしてから引返して来た頃には、へたばつた様子は午前のそれよりも一層深刻に現れてゐた。今は笑はれるのを気にするどころではなかつた。紙製の袍には十分皺がより、おまけに永い間日に照らされたので、そり返つて袖口から中に着こんだ木綿縞を露はし、横腹のあたりが裂け、惨憺たる有様だつた。それにもかゝはらず、疲労のために一隊はかへつて一種の上機嫌を呈してゐた。それに空はあくまで晴れ、雲切れ一つなく、彼等の歩いてゐる田舎路は右手にきらめく河を見下して、白くはつきりと浮び上り、ふり注ぐ日ざしと温かさで噎《む》せるほどだつた。誰かが笏を落したと云つては笑ひ、木沓《きぐつ》が割れたと云つては笑ひ、さうなるととめどもないげらげら笑ひが浪のやうにしばらくは一隊を支配した。
「はあて、神主さんになるのもえらいもんだのう」
 と、誰かが大声で叫んだ。
「何を云うとる。すまじきものは宮仕へ、といふぢやないか」
 と、それまで鹿爪《しかつめ》らしい表情をくづさずにゐた仲買の富田が、突然半畳を入れた。どつと立つた笑ひ声で、聞きとれなかつた者までがふき出した。
 が、一隊がふたゝび町中にさしかゝつて来ると、汗と埃でよごれ、ゆるんだ表情の彼等に見られるありありとした疲労は、待ちうけてゐた見物人達にたちまち同情と心配をひき起した。今や、この一隊は紙衣の神官でもなければ行列でもなく、見物人達の良人《をつと》であり、父親であり、主人であつた。草履の代りに下駄が、下駄の代りに草履がはき代へさせられ、手拭を出し、熱い番茶を持つて来、中には自宅の縁側に悠々と一休みして行く者さへあつた。

 もう一度小学校の校庭まで辿り着いた時には、衣裳がくたくたになつたのと疲労し切つたのとで、行列をつくつて歩いてゐる間に自然と現れてゐた共通の類似、あの正面を切つたまじめさが消え失せ、代りに日頃のそれぞれな持前が、尖つた顎だの鹿爪らしい顔つきだのいふものが今や歴然と姿を現した。まだ解散にならぬ前から気早やに冠をかなぐり取つた者もゐたし、衣裳をぬぎにかゝつた者さへあつた。
「ねえ、御苦労なこつた」
 疲労したあまり不機嫌になつた大石練吉は、手荒く疳性《かんしやう》に衣裳をくるくると巻きながらいつもよりも激しくその切れ目をぱちぱちさせて云つた。
「先生、どうしなさる? 着て行きますかい」
 と、きよろりとした目つきに返つた徳次は、立ちはだかつたやうな恰好になりながら、房一の傍に停つて訊いた。
「いや、もう御免蒙つて脱いで行かう」
 彼が冠をとると、円味のある顎肉には紐の痕が紅く残つてゐた。
「どうしたい、君はその恰好をまだ見せたい気かい」
 と、練吉は、彼等のわきにさつきから立つてゐた今泉に向つて、揶揄《やゆ》するやうに訊いた。どういふものか、今泉の紙衣裳はちつとも痛んでゐなかつた。これといふ皺もついてゐなかつたし、木沓さへ完全であつた。冠をつけ、まだ笏を心持構へた恰好で、こんなに皆が疲れ切つた様子をしてゐるにかゝはらず、今泉だけはその稍冷い感じのする四角な顎を生き生きとさせ、あのつまみ立てたやうな鼻髭さへ床屋から出て来たばかりのやうだつた。
「いやあ、もう沢山ですなあ。さつきはどうも照れ臭くつて弱つたぢやありませんか。何と云つたつて、皆に顔を見られるんだから、たまつたもんぢやない。あんなに弱つたことは生れてからはじめてですよ」
 練吉の口振りが意地の悪いものだつたにかゝはらず、今泉はむしろ話のきつかけを得たことを喜んでゐる風だつた。
「わたしはね、こいつは割れさうだなと思つたもんでね」と、笏で自分のはいてゐる木沓を指して、
「だから大事に大事に歩きましたよ。石ころの上を踏んだら一ぺんですからね。いつもこんなに大事に下駄をはいたらさぞ永持ちすることでせうが――」
 練吉はさういふ今泉の足もとを見、更にじろりと皺一つよらない衣裳を見上げた。何か疳にさはつたやうな色が動いた。そして、一言できゆつと相手をへこまさうとする時のやうに、神経的に口を曲げ、今にも云ひ出さうとした時、少し離れたところから手招きしてゐる房一と小谷とに気づいて、そのままそつちへ行つてしまつた。
「ね、大石さん。今夜一つ私のところで慰労宴をやらうといふんですがね。あなたもぜひどうですか。この三人だ
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