を一種|恭々《うやうや》しげな面持でかしこまつてゐるのを、その厚いふくれた唇が不器用な微笑を浮べてゐるのを見た。それは何となく可笑《をか》しみのあるものだつた。
 思はず正文は笑ひかけた。それを隠すやうに小首をかたむけてわきを向くと、又房一の話を傾聴する恰好になつた。そして、一度起きなほつた背はだんだんと柔かく前こゞみになつた。
 房一は手答へのないのを感じた。
「どうぞよろしくお願ひします」
「はあ、いや。もう手前どもは老いぼれ同然ですからな」
 向きなほつて云つた正文の声音は穏かではあつたが、その言葉とは不似合な強《し》たゝかな調子があつた。
「先づそのうちには、町内の様子もいろいろお解りになることでせう。これでなかなか面倒なこともありましてな」
「はゝあ」
 房一は狡猾な顔で老医師を見た。だが、前よりなほ気楽げな様子になつた正文は、房一の方をろくに見もしないで、
「さやうさ。当今では大分|世智辛《せちがら》くなりましてな。薬価の代りに畑の物を貰つてすませる位のことはさう珍しくはありませんよ」
 房一は苦笑した。
 そのとき、横の襖が開いて、三十近い年の、髷なしの束髪に結つた女が茶
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