でも、房一はしよつちゆう歩きまはつて何度も道具を置き換へてゐた。古風な玄関の広間はそつくり待合室になつた。つゞく二室は板敷にして薬局と診察室ができ上つた。壁ぎはに立てた大きな薬戸棚、油布張りの固い患者用の寝椅子、青いビロードのふつくり盛り上つた廻転椅子、縁枠を白く塗つた医療器具棚の中には真新しいメスや鋏、鉗子《かんし》などがぴかぴか光つて、大事さうに並べてあつた。
 房一は廻転椅子にそつと腰を下して、もう朝から何度眺めたかしれない診察室の中を見まはした。間もなくその不恰好な体躯がぢつと動かなくなつた。彼が身動きするたびに現れてゐた一種晴れがましい表情の代りに漠とした思案の線がその顔に現れてゐた。――この河原町に帰つて開業しようと決心したときにどこからとなくやつて来た考へがある。それは彼が河原町を出てゐる間にいつとなく薄れてゐたものだが、思ひ出すたびに徐々に形がはつきりして来た。あの河原町に奥深く流れてゐて彼を何かしら圧迫してゐたもの、それは何故か彼に跳ねかへさせたい心持を抱かせ、同時に身体が熱くなるほどの一種盲目な力を駆り立たせるのが常だつた、それらの捲き旋回する目に見えない風のやうな
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