たに居ない。それで、昔のまゝに格子造りの鍵屋の表口はいつも半ば閉めたやうにひつそりしてゐた。その母屋《おもや》の横手から裏にかけてはもう何の役にも立たない古い倉庫が無暗みと大きな屋根と、あの風雨にたゝかれて黒ずんだ汚点《しみ》のついた白壁とを突立ててゐるきりだつた。
 そんな具合だから空室になつた分家の方も閉めて置くより他はなかつた。鍵屋の方はまだしも湿めつぽい匂ひがあるが、この分家は人気《ひとけ》が去るのといつしよに家そのものの気さへ抜けてしまつて、乾いて、たゞ昔の恰好のまゝで立つてゐるだけであつた。まさか、よそから流れこんで来た八百屋や指物師などに貸すわけにはいかない。ところが、全く打つてつけの借り手ができた。それは「医師高間房一」だつた。医者に貸すのだつたら、別に家の品を落すことはないわけだ。

 その外から見れば屋根と築地塀だけのやうな家の前で、三人の男が立つてしきりと話してゐた。
 築地には四五本の木材が立てかけられて、玄関に通じる石畳の上には鉋屑が一杯に散らばつてゐた。その白いのや紅味がかつた真新しい木の色はふしぎな生気をこの家に与へてゐた。あの低い大きな屋根がぐつと身を起
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