曇つて何となく冷え、急にぱつと日ざしが輝き、又冷え――そして、年ごとに絶えず繰り返へされながら絶えず或る新しさを持つて、慣れることのない、捉まることのない冬が、底冷えと疾《はや》いおびたゞしい雪もよひの断雲と刺すやうな寒風とを伴つてやつて来た。
「さうだ、君はあの時の射撃大会に出たさうだね」
と、酒が少し入るとすぐ真赤になる性質の房一は、その紅黒い顔を火照《ほて》らせ、円い身体を持扱ひかねたやうになつて訊いた。
「うん」
練吉は盃を口にふくみながら答へた。
「射撃たつて、あれはクレーとかいふものを射つんでせう。わたしはね、他に何か的《まと》でもあるのかと思つたら、何のことはない、小さなカワラケの皿をね、かうひよつと機械仕掛けでとばしてね、――そいつを射つんでせう。なるほどうまい仕掛けにはちがひないが、見てゐるとあつけないもんですな。それに音だつてね、景気よくないんですよ。ボスツといふやうな音でね」
小谷はやさしみのある顔をぽつと紅らめ、いくらか饒舌になり、それと共によけいきいきいする声で話した。
「それあきまつてる、猟銃だもの」
練吉はもうさつきから殆ど一人でぐいぐいやつてゐるにもかゝはらず、むしろ青い顔だつた。
例の奉祝行列のお終ひに小谷から慰労宴をやらうと云はれたときに、房一は道平が練吉の診察を受けたまゝになつてゐるのを気にかけてゐたことを思ひ出し、練吉をも加へて小谷と二人を招待しようと云つたのだが、小谷はそれはそれ、これはこれと云つて聞き入れなかつたので、改めて今二人を料亭染田屋に招いたのであつた。
「ほう、クレーといふのはカワラケのことかね」
と、一向にそんなことを知らない房一が云つた。
「さうなんですよ。ですが、よく考へたもんだと思ひましたね、足もとから鳥が立つ、といふでせう、――あれとそつくりにね、かうひよいとカワラケがとび出すんですよ」
「さう、カワラケ、カワラケ云ひなさんな」
「はゝゝ、でもカワラケにはちがひない、それがかうひよつとね」
小谷は酔つて来たのだらう、何度も同じ手真似をして見せた。
「まづい、まづい。酒がまづくなる」
と、練吉はわざとらしく顔をしかめてみせた。
「ところがね、大石さんの銃は、あれはマネスターと云ひましたかね、あのマネスターは立派なんだけどなあ。そのわりにあたらないもんですね」
その時、練吉はぐつと盃をつきつけた。
「まあ、のみなさい」
「買収ですかな」
いくらか浮《うは》つ調子に口の軽くなつた小谷にひきかへ、今夜の練吉は何となく元気がなかつた。細かいながらに絣《かすり》の目のはつきりした大島の上下揃ひを稍ぞんざいに着こみ、吃り気味に話をする彼には、だらりとした様子と同時に、どこか家風の結果といふやうな一脈の潔癖さが混交してゐた。
「あ、さう云へば」
と、房一は練吉の顔を見て思ひ出したらしく、
「昨日、君とこの奥さんがバスに乗るところを見かけたが、――」
「うむ」
突然、練吉の顔には一種の生気が、何となくもう一人の練吉といつた風なものを思はせる疳の気配、子供染みた我儘さが顔にさし、あのひつきりのない目瞬《またゝ》きが止んで、切れの長い目が眼鏡の奥でぢつと線を引いた。
「あいつも、君んとこと同じで、子供ができたらしいよ」
と、舌ざはりの悪いものでも口にしたやうな調子で、練吉はぽつんと云つた。
「ほう、さうか。それはちつとも知らなかつた」
「うん」
練吉はそれなり黙つた。
その様子で、房一は今は隠れもない大石家の内部のごたごたを思ひ出したので、いさゝか間が悪いと云つた顔をしてゐた。――練吉の妻の茂子は、九月に入つてまもなくぶらりと大石家へもどつて来た。それは一日か二日姿を消してゐた飼猫がふたゝび舞ひもどつて来たやうな工合だつた。さういふ様子は茂子自身にあつたばかりでなく、大石家の老夫婦にもあつた。が、どういふはずみからか、今まで何年かその気配もなかつた茂子には、十一月に入つた頃から妊娠の兆候が現れた。万事投げやりだつた練吉にも意外だつた。そして、老夫婦と茂子との不和に気を腐らせてゐた彼は、これが案外緩和剤になるかもしれない、と考へたところが、それを聞いた老夫婦はちよつと眉を動かせたきりで、云ひ合はせたやうに黙つてゐた。多分、老寄《としよ》りに特有な気の廻し方で、茂子に実子ができれば継子である正雄に対する愛がうすらぐとでも考へたものだらう。この気持は当然茂子に反映した。それに、彼女のつはり[#「つはり」に傍点]は重い方だつたので、さういふ状態で老夫婦と同居してゐるのは以前よりも辛かつた。で、今度は両方の公然の申し合せで、身体を休めに実家へしばらく行つてゐることになつた。房一が見かけたといふのは、茂子の帰るところである。
房一は話を変へた。
「なんだね、クレーの
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