のそれぞれな持前が、尖つた顎だの鹿爪らしい顔つきだのいふものが今や歴然と姿を現した。まだ解散にならぬ前から気早やに冠をかなぐり取つた者もゐたし、衣裳をぬぎにかゝつた者さへあつた。
「ねえ、御苦労なこつた」
 疲労したあまり不機嫌になつた大石練吉は、手荒く疳性《かんしやう》に衣裳をくるくると巻きながらいつもよりも激しくその切れ目をぱちぱちさせて云つた。
「先生、どうしなさる? 着て行きますかい」
 と、きよろりとした目つきに返つた徳次は、立ちはだかつたやうな恰好になりながら、房一の傍に停つて訊いた。
「いや、もう御免蒙つて脱いで行かう」
 彼が冠をとると、円味のある顎肉には紐の痕が紅く残つてゐた。
「どうしたい、君はその恰好をまだ見せたい気かい」
 と、練吉は、彼等のわきにさつきから立つてゐた今泉に向つて、揶揄《やゆ》するやうに訊いた。どういふものか、今泉の紙衣裳はちつとも痛んでゐなかつた。これといふ皺もついてゐなかつたし、木沓さへ完全であつた。冠をつけ、まだ笏を心持構へた恰好で、こんなに皆が疲れ切つた様子をしてゐるにかゝはらず、今泉だけはその稍冷い感じのする四角な顎を生き生きとさせ、あのつまみ立てたやうな鼻髭さへ床屋から出て来たばかりのやうだつた。
「いやあ、もう沢山ですなあ。さつきはどうも照れ臭くつて弱つたぢやありませんか。何と云つたつて、皆に顔を見られるんだから、たまつたもんぢやない。あんなに弱つたことは生れてからはじめてですよ」
 練吉の口振りが意地の悪いものだつたにかゝはらず、今泉はむしろ話のきつかけを得たことを喜んでゐる風だつた。
「わたしはね、こいつは割れさうだなと思つたもんでね」と、笏で自分のはいてゐる木沓を指して、
「だから大事に大事に歩きましたよ。石ころの上を踏んだら一ぺんですからね。いつもこんなに大事に下駄をはいたらさぞ永持ちすることでせうが――」
 練吉はさういふ今泉の足もとを見、更にじろりと皺一つよらない衣裳を見上げた。何か疳にさはつたやうな色が動いた。そして、一言できゆつと相手をへこまさうとする時のやうに、神経的に口を曲げ、今にも云ひ出さうとした時、少し離れたところから手招きしてゐる房一と小谷とに気づいて、そのままそつちへ行つてしまつた。
「ね、大石さん。今夜一つ私のところで慰労宴をやらうといふんですがね。あなたもぜひどうですか。この三人だけでね」
 と、小谷が云つた。
「あゝ、よからう。大賛成ですよ」
 のむことなら! といふ風に、練吉は切れ目をぱちぱちさせた。

     四

 御大典とそれにつゞく奉祝日は瞬《またゝ》くまに過ぎ去つた。
 河原町では、山車《だし》や仮装行列のほかに、夜に入つては提灯行列が出たし、町の上手にある神社の境内では奉祝の花競馬も行はれ、射撃大会まであつた。競馬の行はれた境内は不断殆ど人気のない所で、そこには永い間風雨にさらされて木口《こぐち》がすつかり灰白色になつた大きい拝殿がゆるんだ屋根の端を高いところで傾けてゐた。そこには紅白の幕が張られた。走路は拝殿のわきのかなりな池の周囲に造られたが、所々に笹を立て、それを荒縄でつないだだけで、方々から集つた馬は大抵胴がいやに太くて足の短い、腹や胸のあたりにぼさぼさした毛の生えた代物だつたが、わきに外《そ》れやうとする馬は周囲を黒山のやうに囲んだ見物人達の喚声と棒切れとで又内側へと追ひこまれ、池の中にはまりこみ、泥まみれになつて走つたりした。拝殿の観覧席には相沢知吉の顔が見えた。彼の持馬も出場したのである。相沢は例のカーキ色のズボンをはいて来たが、馬には乗らずに牽《ひ》いて来たのだつた。見ただけでのろまな在馬《ざいうま》にくらべると、相沢の馬はずば抜けてゐた。かなり遠方からやつて来たといふ栗毛の馬と競《せ》り合つたあげく、相沢の馬は優勝を獲《か》ち得て、賞品の幟《のぼり》と米俵とを悠々と持つて行つた。射撃大会は猟天狗仲間が河原に集つてクレーの射撃をやつたので、これには大石練吉が自慢のマンチェスターの銃を携へて出席した。発条《ばね》が跳ねる、とクレーはちやうど山鳥か何かが飛び立つかのやうに、ゆるい弧を描きながら青空に投げ出される、その瞬間、射手は腰のあたりに構へた銃をすばやく肩に引上げ、パンといふ音が響き、クレーは微塵に砕け散つた。が、大半は遠く河原の上に落ちてそこで砕けたやうであつた。後で格別噂が立たなかつたところを見ると、練吉は不成績だつたのだらう。
 が、それもこれも一週聞か十日たつうちには、たちまち漠とした過去の中に滑りこんでしまひ、目立たなくなり、ぼやけ、遠のき、ふたゝびあの河原町特有の単調さがあたりを支配し、だるげな瀬のどよめきが耳につき、季節の曖昧な足どりが現れ――或る日はさらさらいふかすかな音を立てて雨が通りすぎ、
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