ながら何か云つてゐた。
房一は手足を洗ふと、簡単に診察着をひつかけて表へ廻つた。
そこには一人の男が顔を手拭で蔽はれたまゝ、一種普通でない様子で寝かされてゐた。手拭の下からは赤黒く汚れた額の一部と、土埃にまみれた頭髪とがはみ出してゐた。その傍には、やはり印袢纏着の真黒い顔の男がついて、ぽかんとして戸外を眺めてゐた。
房一がそこへ出るのと、さつきの二人が表から入つて来るのと同時だつた。
半シャツの男が進み出た。
「せんせい[#「せんせい」に傍点]ですか」
関西|訛《なまり》の特長のある呼び方で、彼はちよつと頭を下げた。それはお辞儀といふよりも、何か強談を持ちかけるといつた工合の、一種の身構への感じられる強《き》つい調子だつた。
「さうです。――どうかなさつたかね」
房一はその時|逸《いち》早く、横に寝かされてゐる男の投げ出した手首に血がかすりついてゐるのを、そして寝ながら立ててゐる片足のズボンの膝のあたりにもどす黒い斑点の沁みてゐるのを見てとつた。
「へえ。――わし達は小倉組の者ですが、ちよつと怪我人ができましたよつて、せんせいに御面倒かけに上つたんですが」
口を利くのは半シャツの男だけだつた。恐らく四十前後だらうが、前額のひどく禿げ上つた、痩せ身の、鼻下にちよつぴりした髭をつけてゐる、がそれらを貫いてゐる表情は何か殺気のある精悍さといつたものだつた。口をきく度に、彼の眼は喰ひこむやうに相手を一瞥した。
「小倉組といふと、下の工事場の方ですな」
房一は、これは煩《うるさ》い相手だなと思ひながら、わざとゆつくり構へてゐた。実は、さつき裏口から二人を見かけた時に、すでにぴんと感じてゐた。こんな風体の連中は河原町には他にない。それに、今しがた川岸で話に出たばかりの所だつたので、房一にはよけい強く頭に来た。
「どれ一つ診ませうかな。――ふうむ、これあどうしたのかね、ハッパでやられたのか」
彼は男の顔を蔽つてゐる手拭をとりのけながら云つた。
男の顔は泥と血で汚れ、かすり傷が一面についてゐた。顎の所にかなりひどい裂傷があり、血糊が固くこびりついてゐた。どこか打撲傷をうけたらしく、一見したところ気息奄々《きそくえんえん》としてゐたが、房一が手拭をとり除いたときに、男はかすかに眼を開けて房一の顔を見た。
二人が男を抱き起して、レザア張りの診察台へつれて行つた。男は殆どされるまゝになつてゐたが、身体は案外自由が利くらしく片手をつかつて横になつた。そして又もやぱつちりと眼を開け、不安さうに房一を見上げた。
「ほう。元気だね。ハッパでやられたかね」
と、房一は訊いた。
男は眼を閉ぢた。何も答へなかつた。
印袢纏の背の高い男がその時、半シャツの男に向つて目くばせをした。
男は病人から房一へぎろりと眼を移すと、
「せんせい[#「せんせい」に傍点]!」
と、いきなり云つた。
「何んにも訊かんといて下さい。ちよつと間違ひが起きたんやで、――それは、後でお話しますわ――とにかく、手当を頼みます」
「ふうむ。いや、よからう」
房一は傷を調べにかゝつた。後頭部にもあつた。身体にへばりついたシャツをはぎとると、背部に最もひどい傷があつた、それは紛《まが》ふところのない刃物による刺傷だつた。新しい血がはぎとられたシャツの下から、瞬《またゝ》く間にふき出し、滴《したゝ》り落ちた。
「おつ! こりあいかん」
房一は急いで膿盆をひきよせた。
「ひどい傷だねえ!」
思はず口に出かゝつたが、慌ててのみこんだ。彼の頭には今やすべてが明かになつた。土工仲間の刃傷沙汰だつた。その息づまるやうな情景が頭に閃《ひらめ》いた。
房一のまはりには三人の男が立ちかこんで、黙つて治療の様子を見まもつてゐた。背中をむき出しにして横向きに寝た男は、傷を洗はれるときに呻《うめ》いた。血の気の引いたその顔にはどす黒い蒼白さが現れた。
「痛むか?」
男は眼を閉ぢたまゝだつた。
傷は三箇所を縫つた。
顎から後頭部にかけてと背部と二所を大きく繃帯でぐるぐる巻きにされた男は、やがて待合室へつれて行かれ、ごろりと転がされた。はじめからしまひまで一言も口を利かなかつた。
真黒い顔の男が傍によつて訊いた。
「どうだ。起きられるか」
その時やつと、男は少しうなづいた。そして背中に負はれて出て行つた。
「どうも、済んまへんでした」
半シャツの男は房一の前に来て、はじめてお辞儀らしい格好をした。
「もう一人後から来るかもしれませんが、そしたらよろしく頼んます」
「――?」
房一は目を上げて何か訊きたさうにした。それを押へるやうに、
「なあに、後から来るのんはほんの擦《かす》り傷みたいなもんやから、大事ありません。――時にせんせい、何んぼ差上げたらえゝでせう?」
云ひな
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