た時にはこの円味が消えてしまひ、あのどぎつい部分々々がばらばらに突出し一層強くなるやうに感じられる瞬間がある。それは理由なく盛子を恐怖させるものであつた。
 今、房一の顔に現れてゐるのはさういふ怒気だつた。ただ、それは盛子に向けられてゐるのでなしに、房一の内部に立ちはだかり、自ら押へつけしてゐる、それから来る圧迫感だつた。――

 鍵屋へ招かれた時から房一の頭を占めてゐた考へは、その席で恐らく河原町の人達が彼をどんな風に見てゐるかがはつきり判るだらうといふことだつた。かういふ集りでは皆が皆自分の据ゑられる席の上下を可笑しい位に気にする習慣を房一はよく知り抜いてゐた。
 それは莫迦げたことにちがひなかつた。だが、その莫迦げた習慣の中に今房一は身を以て入りつゝあるのを感じた。
 そこで自分がどんな取扱ひをうけるか、あたり前の医者としてか、それとも単に「芋の子」に過ぎなかつた高間道平の憎まれ息子としてか、房一は少からず興味を持つた。が、大体予測がつかないではなかつた。きつと、医者として認めたがらない気持がそのまゝ現れるだらう、と。
 若しさうだつたら、そのまゝおとなしく坐つてはゐられまい。それは、皆の前で公然と頭を押へられた所を自認するやうなものだ。前例にもなるだらう。一度きまつたとなつたら又打破るのは容易ではあるまい。それは、河原町で今後医者として立つて行けないことを意味する。頭を押へられたきり、ついには逃げ出すより他はないといふ破目に陥るだらう。彼は思つた。
「かりに、おれが真正面から反抗的に出て、それがために住みにくくなつたとしても、同じことだ」

 不幸なことに房一の予測はあたつた。いや、それ以下とも云へた。
 焼香が済むと別室へ案内された。だが、こゝでも各自に大体自分の坐らせられる席を心得てゐながら、すぐには通らうとしなかつた。で、神原直造が一々その人の前に行つてそれぞれの席へ順に案内した。正面の床柱の前には大石正文が猫背のまゝ顎を突き出した恰好で坐つた。その次は上町の醤油屋の主人だつた。正文と等位置の左手へかけては堂本が坐つて居り、大石練吉がその隣にゐた。二三人置いて庄谷の顔が見えた。その辺りが上座だつた。
 ざつと四十人近い客数であつた。その半ばあたりへ来ると、直造は一々前まで行くのを止めて、ふりかへつては「山下さん、お次へどうぞ」と云ふ風に名を呼びはじめた
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