uくすのき」である。計らずも私は、そこで一つの生きた学問をしたのだった。
 が、これも五十日あとのこと。
 いまはもう一度|倫敦《ロンドン》出帆へ逆行して、あらためて錨《いかり》を上げる。
 四日[#「四日」に「ママ」の注記]午前九時、SS・H丸はロウヤル・アルバアト・ドックを離れてテムズ河口へ揺るぎ出た。
 がたん!
 踊る水平線へ!
 そして、極東日本へ!


     3

 では、英吉利《ギイリス》よ、「さよなら!」
 さよなら!
 大きな声で「さよなら!」
 何国《どこ》の港も同じ殺風景な波止場の景色に過ぎないんだが、長い長い帰りの航路をまえに控えている私達の心臓は、いささか旅行者らしい感傷に甘えようとする。が、そんな機会はなかった。交通検閲はつねに無慈悲にまで個人の感情に没交渉である。私と彼女が、桟橋に立っている二人の巡査と、数人の近処の子供らと、一団の荷役人夫たちに別れの手を振りながら、すこしでも強く長くこの倫敦《ロンドン》の最後の印象を持続しようと焦っているうちに、船は自分の任務にだけ忠実に――大きな身体《からだ》のくせに驚くほど早い。さっと出てしまった。私達は船室へ帰
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