鴻bパ》は一般に、石や鉄には事を欠かない代りに、木材には案外不自由している。おまけにべらぼうに手間賃が高いのだから、荷送り用の雑な木箱でさえ、これだけ取らなければ引き合わないのである。早い話が、ちょっと店へ買物に這入っても、売子が品物を奨《すす》めながら第一番にいう言葉は、ちゃん[#「ちゃん」に傍点]ときまってる。「これは handmade で御座いますから」と言うのだ。つまり、職人が手で造った物だから恐ろしく贅沢である。従って値段も高いという意味なのだ。この言い草はわれわれ日本人には不思議に響くけれど、機械製品に飽きている向こうの連中にはこの上なく有難いとみえて、ことに亜米利加《アメリカ》人なんか「|手作り《ハンド・メイド》」とさえ聞けば、どんなに桁《けた》はずれな高値をも即座に肯定して、随喜の涙とともに否応《いやおう》なしに買い取って行く。だから各地のお土産店でもすっかり心得ていて、人形一つ出しても「|手づくり《ハンド・メイド》」、ハッピイ・コウト一枚見せるにも「|手作り《ハンド・メイド》」、灰皿を買おうとしても「|手造り《ハンド・メイド》」――そこで、値が張っているのだと言う。こんなふうに、何からなにまで「手づくり」の一枚看板で下らない物を高く売りつけようとするし、また、そう聞いただけで、詰らないものに大枚の金を投じて惜しまない人が、じっさいすくなくないのだ。そんなことを言ったら、日本人の生活品なんか片端《かたっぱ》しから「|手作り《ハンド・メイド》」だ。こう言ってやると、みんなびっくりして仲々ほんとにしない。それもそのはずである。たとえば倫敦《ロンドン》のマンフィイルドで靴を買うにしても、まあ二|磅《ポンド》も出せば相当なのが手に入るんだけれど、これが、ちょっと底の皮を手で縫いつけたというだけで、公然と五|磅《ポンド》の値を呼ぶ。するとここに、そこは好《よ》くしたもんで、何かしら他人と変った高価なものでなければ気が済まないという、ぶるじょあ階級の凝り屋があって、そんなのを探し出して得意になっている。品質も見たところも二|磅《ポンド》のと同じなのに、単に底が手縫いだというところだけで、三磅も余計に払って怪しまないのである。もっとも、このマンフィイルドの靴の場合は、事実手縫いのほうが遥かに丈夫で長保《ながも》ちすると言うけれど、買う方は、何も長もちさせようと思っ
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