スりした。そして、四月二十日倫敦出帆のH丸ということに、大体心組みを立てたのである。
 が、帰国のことだけはナポリで決定したものの、全|欧羅巴《ヨーロッパ》を歩きつくすためには、私たちの前には、まだ残っている土地がある。で、早々に伊太利《イタリー》を離れた私達は、北上して雪の瑞西《スイツル》に遊び、そこから墺太利《オウスタリー》の維納《ウインナ》に出て、あのへんを歩き廻ってチェッコ・スロヴキアへ這入り、プラアグに泊り、それから独逸《ドイツ》を抜けて巴里《パリー》へ帰ったのが三月末だった。巴里は以前に二、三度来ているので、旬日滞在ののち倫敦へ渡って、古本の買集めや、見物の仕残しを済ますために日を送り、やっと二十日のこのH丸に間に合ったのだった。
 切符も買い、支度も調い、暫らくの滞英にも前からいろいろと知友も出来ていたので、そこらへの顔出しも済まして、あとは手を束《つか》ねて乗船の日を待つばかりの心算だったのが、ここに急に思いがけない困難が降って沸いたと言うのは、じつは買い込んだ書籍の発送方についてであった。
 というのは、いざ[#「いざ」に傍点]という間際に大工でも呼んで来て見せたら、きっと荒削りの板で幾つか木箱でも作ってくれるだろう。それが一番格安でもあり、便利だと、迂闊に日本風に考えていたのだが、出帆の日も迫ったのであちこち[#「あちこち」に傍点]聞き合わしてみると、日本と違ってそこらの町角や露路に棟梁の家《うち》があるわけではなし、さんざ困った揚句、それではと言うので箱から荷作りまですっかり運送屋に一任することにした。ところが、これが、箱一つ造るのに十日あまりもかかるとあっては、とても急場の間に合わない。おまけに、本箱一個十円以上もする。というと、ワニスか何か塗った本棚代用の箱でも想像する人があるかも知れないが、なるほど、馬鹿固い英吉利《イギリス》の人の仕事だけに、巌畳《がんじょう》な点は可笑しいほど巌畳を極めたものに相違ないけれど、要するに、送る途中だけ用に足りればいいのだから、第一、そんなに非常識に丈夫であることを必要としないし、何と言っても、石油箱の大きなののような、碌《ろく》に鉋《かんな》もかけてないぶっつけ[#「ぶっつけ」に傍点]箱が一|磅《ポンド》もするとは驚くのほかはない。しかし、これも考えてみると無理もない話で、英吉利は、というより欧羅巴《ヨー
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