至る十日十六時四十分の紅海横断。この間、三三九六|浬《カイル》。
甲板|洋灯《ランプ》の無礼な光線が、私を熟睡から引き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》った。水夫たちが朝早くデッキを洗っている。で、また眠りかけようとしていると、ただならない跫音が廊下を走って階段に上下した。声がする。
『コロンボ!』
水をかぶったように、私は寝台を撥《は》ね降りた。そして、パジャマに上履きを突っかけたまま、どうしてこう陸地の片影さえもが恋しいのだろうと自分で不思議に思いながら、船室を飛び出して上甲板に立った。
まだ、空気はひやり[#「ひやり」に傍点]として薄暗い。
近くの海面を緑と白の灯を長く引いて、大きな帆前船が滑って行く。海岸の突起物は灯台だ。セイロン島である。
とても、じっ[#「じっ」に傍点]としてはいられない奇妙な感激だ。やたらに甲板を歩き廻る。東の水平線は薔薇色に明けかかって、猛烈な速力で陽が昇るものだから、うしろに、まだ闇黒の固形が山のように聳《そび》えているうちに、全海面が火山口のように燃えて、雲は紫に色どられ、椰子に囲まれたコロンボの町が私の眼前に伸び上って来た。
水先案内の小艇を抱くようにして、船は徐々に湾内へ進む。停泊中の軍艦、貨物船などの舷側に宝石のように灯がきらめいている。朝の微風こそは、この港で一ばん享楽すべきものだ。水蜘蛛のように大帆を張った漁船の群が、お互いに影を重ねて揺れて過ぎる。そのあいだを、竹や丸太を船べりから水面へ組み出して、顛覆《てんぷく》を防いでいるセイロン島の土人舟が、何か大声に叫びかわしながら漕ぎ廻っているのだ。よく身体《からだ》が据《すわ》らないほど狭い独木舟《バラグワ》なので、土人はみな片膝ついただけで水掻きのような櫓《ろ》をあやつっている。遠くから見ると、まるで曲馬団の綱上踊子《ロウプ・ダンサア》だ。
朝の闇黒から滲み出て来る港の活気は、魔術的である。ちょうどバレイの幕あきのような照明効果をもって、コロンボはいま私達のまえに出現しようとしている。
市街は、人家と高層建築物の点綴。そして、島は起伏する山頂の連結。
甲板には人が増してくる。あらゆるバス・ロウブとガウンの陳列会だ。すると、丸窓は一つ一つ眠い顔をはめて、肖像の額縁になる。
もう陽は高い。霧は海に落ちた。椰子の木の町は、そのホテルの高楼
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