この「軽風2」というのは、1が light air, 2が light breeze の2である。
 馬耳塞《マルセーユ》とナポリから大分の日本人が乗り込んで来て、船はいよいよ日本村の観を呈する。
 独逸《ドイツ》から帰国の途にある作曲家のH・R氏――日本風に姓が上である――の一家や、K大学精神病学教室のK博士、A大学法医学部のK教授。それに、倫敦《ロンドン》から一しょに来たT博士と、だいぶお医者が多い。そのほか鉄工所のK工学博士、建築家のY博士、倫敦正金支店のK氏一家、N氏夫妻、砲兵大尉だの学生だの、外務書記生だの在外商店の人々だの、なかなかの賑やかさだ。
 甲板ゴルフ、麻雀《マージャン》、ブリッジ、碁、輪投げ、散歩、デッキに設《こしら》えたプウルの水泳。夜は映画、音楽会。舞踏。
 がたん・がたん、と細かく機関が唸る。
 ぺいんとの香《におい》。海の色。甲板椅子。雲の峰。
 私は毎日、私達の食卓のテエブル・マスタア副船長T氏の部屋へ出掛けて、モウルス信号《コウド》の残らかを覚えようと努力した。
 船から船へ、発火、無線、旗などによって意思を通ずる浪漫的な海上国際語である。
 U――君は危険に遭遇している。
 V――助力を求む。近くにいてくれ。
 R――貴船の位置は本船の航路外にあり。静かに通り過ぎよ。
 L――停船! 重要あり。通信したし。
 F――自航力なし。通信を求む。
 DS――危険! 注意せよ。
 BFY――不可能。
 HOK――しかし。
 MRZ――いつ君はのし[#「のし」に傍点]上げたのか。
 MST――遠方。
 AG――船を捨てるほか途《みち》なし。
 AN――前進し得る状態にありや。
 BJ――機関不能。
 BK――何事が起ったのか。
 DF――幾らかの応援あらば復旧することを得べし。
 ETC・ETC・ETC。
 諳記しては、片っぱしから綺麗に忘れる。
 ある日の船内無線新聞。
 伯林《ベルリン》。昨月曜日夜、ポッツァレル・プラッツに三百人を一団とせる共産党員の暴動起り、警察を襲う。大部隊警官の出動を見て、間もなく平穏に帰す。
 フリイドリヒスハアフェン。天候可良ならば、ツェッペリン伯号は五月二日に維納《ウイン》を訪問すべし。
 テュニス。伊太利《イタリー》新聞組合の戸外にて機関銃爆発。原因損害等一切不明。
 スエズから古倫母《コロンボ》に
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