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私たちのボウトは第二号艇である。
曇天つづき。
寒いので、まだ甲板ゴルフも輪投げもテニスもはじまらない。雑談と喫煙。酔っているのか、船室に閉じ籠ったきり顔を見せない人も多い。倫敦《ロンドン》から乗込みの日本人客はたった四、五人で、他はすべて西洋人だ。
ビスケイ湾――ここの荒れないことはないと言われている。例外なく、今度もかなりがぶる[#「がぶる」に傍点]。が私は勿論、彼女もすこしも酔った気分を知らずに過ぎる。倫敦《ロンドン》から三日目の朝。船はビスケイを済まして葡萄牙《ポルトガル》の海岸近く南下する。私達が去年の冬を送って、何艘ものこの航路の船を望遠したエストリル村の家々と、あのホテルの建物さえはっきり見える。私達は双眼鏡に獅噛《しが》みついて、三階の窓と、そこに張り出ているヴェランダを発見して狂喜した。そして、やがてリスボンの町の空と一しょに海岸全体が水平線のむこうに消えるまで、眼のまわりに眼鏡のあとを赤くつけて、いつまでも立ちつくしていた。
倫敦・じぶらるたる――一三一八|浬《カイリ》。所要時間、三日と二十三時五十分。
船のへさきに赭茶《あかちゃ》けた土と、緑の樹木と、無線電信の高柱と、山鼻の大岸とをもったジブラルタルが海の夢のようにぽっかりと浮かび上った。
私は、小学六年生の頃に、何てことなしにこのジブラルタルという地名の響きが無性に好きで、当時の小学生らしくこんな短歌みたいなものを作った記憶がある。
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赤き帆のヨット走れり波分けて
ジブラルタルの夏の海をば
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というのだ。私が妻にこの話をすると、彼女は断髪を薫風に与えて微笑した。
夏ではないが、このへんはもう夏げしきである。ヨットも走っていた。英吉利《イギリス》海軍の快走艇《ヨット》だ。が、幼い歌人の幻滅にまで、帆の色は赤ではなかった。陽に褪《あ》せて白っぽくなったカアキイいろだった。
同船の誰かれ――日本人学生N氏とN氏夫人の英吉利婦人、T大学医学部教授T博士、などとみんな一緒に上陸して、出帆までの町の内外をドライヴする。坂・植物・狭い|大通り《メイン・ストリイト》・不可思議な活動常設館・両側の土産物店・貝細工・卓子《テーブル》掛け・西班牙肩絹《スパニッシュ・ショウル》・大櫛・美人画・闘牛士装束など。ムウア土族の
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