ニしている放浪者」の、すこしは殊勝なこころもちのなかに発見するであろう。
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がたん!
がたん!
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 と機関が唸《うな》る。
 船という船のなかで、この倫敦《ロンドン》発横浜行きNYK・SS・H丸――私がそれに、何の理由もなしにほとんど運命的な約束をさえ見出しかけていると、彼女も眠れないとみえて、下の寝台で寝返りを打つのが聞えた。
『どうしたい。』
『ええ。大変な浪。』
『もうビスケイ湾かしら――。』
『いいえ。』
『そうだ。ビスケイはまだだろう。』
『あしたの夕方からですって。』

     4

 翌日、曇り。
 午前十時、非常時の予行としてボウト・ドリルと消火演習がある。船客一同救命帯を着用してA甲板上のそれぞれの短艇《ボート》位置へ整列する。汽笛や銅鑼《どら》が暗い海面を掃き、船員達が走り廻り、マストには発火現場眼じるしの旗があがり、稽古とは知っていてもさすがに好い気もちはしない。
 めいめい紙片を渡される。
「海上の安全を期するため、船客各位に対する重要告知」とあるから、何を措《お》いてもあわてて読んでみる。
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一 御乗船後まず第一に左の件々御承知置きを願います。
 イ 各自割当の端艇《ボート》の位置。
 ロ それに乗る場処、並びにそこに到る順路。
 ハ 救命|胴衣《チョッキ》或いは救命|浮帯《ヴイ》の着用方。
  右に就き御不審の廉《かど》がありましたら、船員にお尋ねを願います。
二 万一本船遭難の際は、汽笛長声一発とともに銅鑼を連打致します。この信号をお聞きになりましたら、直ぐ救命|胴衣《チョッキ》あるいは救命|浮帯《ヴイ》を御着用の上、甲板上に御参集を願います。
三 もし各自割当の端艇《ボート》を降ろすことが出来ない場合には、反対側の甲板上に御参集を願います。
四 遭難の際には始終受持指揮者の命を固くお守り下さい。
五 端艇《ボート》内に手荷物お持ち込みの儀は堅くお断り致します。
六 端艇《ボート》操練。
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平素|端艇《ボート》操練を行う場合には、予めお知らせ致します。しかして愈々《いよいよ》開始の際には汽笛長声一発とともに銅鑼を連打致します故、直ぐ救命|胴衣《チョッキ》あるいは救命|浮帯《ヴイ》を御着用のうえ、定めの場所へ御参集を願います。

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