アれからはまた印度《インド》の緑蔭も踏むことだろう。私達の旅のすがただ。詩人の墓も撫でたしナポレオンの帽子にも最敬礼した。西班牙《スペイン》の駅夫とも喧嘩したし、白耳義《ベルギイ》の巡査にも突き飛ばされた。モンテ・カアロでは深夜まで張りつづけたし、ムッソリニ邸の門前で一枚の落葉を拾ってくる風流記念心も持ち合わせた。独逸《ドイツ》廃帝も付け狙ってみたし、明方近い巴里《パリー》のキャバレも覗いた。裏街の酒場の礼儀も覚えたし、新しい舞踏ステップも一通りは踏める。それから・それから・それから――眼まぐるしく動いたようで、一個処にじっと落ちついていたような気もする。今になってみると、もう一度繰り返したい一年余であった。
気がつくと、私は、船の進行に合わしていつの間にかこころ一ばいに絶叫していた。
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がたん・がたん!
がたん・がたん!
Home−coming blues !
Home−coming blues !
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何とそれが調子よく機関のひびきに乗ったことよ!
これからは当分、この連続的に退屈《モノトナス》な低音階と、ぺいんとの香《におい》と、飛魚と布張椅子《キャンヴス・チェア》と、雲の峰だけの世界である。
ろんどん――ジブロウタ――馬耳塞《マルセーユ》――NAPOLI――ぽうと・さいど――スエズ――古倫母《コロンボ》――シンガポウア――香港《ホンコン》――上海《シャンハイ》――コウブ――よっくへえま! ふうれえい!
船室は、B甲板の106号。左舷《ポウト》である。
夜、寝台へ這い上る。
同時に、さまざまな断片が私のこころへ這いあがる。
バクスタア家からフェンチャアチ停車場へのタキシの窓に瞥見を持った最後の倫敦《ロンドン》――うす陽が建物を濡らしていた。銀行街にあふれる絹帽《シルク・ハット》と絹ずぼんの人波。その急湍の中流に銅像のように直立していた交通巡査の白い手ぶくろ。
とにかく、これが当分のお別れであろう英吉利《イギリス》海峡――去年の夏はこの上層の空気を飛行機で裂いた――の晩春の夜を、船はいま、経済速力の範囲内で、それでも廻転棒《シャフ卜》を白熱化させて流れている。じぶらるたるへ、マルセイユへ、ころんぼへ、上海《シャンハイ》へ、やがて、神戸へ!
朝は、私たち同行二人の巡礼を、すっかり「家を思い出して帰ろう
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