ェ、とにかく、せっかく何日もかかって出来上った大小幾十個の荷物を、この旅行免状一冊のためにすっかり引っくり返さなければならないことになった。
口説《くど》いてみたってはじまらない。どうしても探し出さなければならない性質のものだから、徹夜してその事業に着手した。出帆前夜のことである。
が、部屋の内外は勿論、荷物は全部出して、トランクからスウツ・ケイスから一応順々に逆さにして振ってみるくらいにしたけれど、問題の旅券はとうとう出て来なかった。
この旅券捜査には、下宿の老夫人をはじめ、同宿の連中から女中一同まで、総動員で手――というより眼――を貸してくれたのだったが、ついに徒労に帰して、翌朝早く、私たち二人は倫敦《ロンドン》の日本領事館へまかり出た。そして平身低頭、泣きを入れてやっとのことで新しい旅券の再下附を受け、それでようよう乗船することが出来たわけだが――もっとも、帰国の船なら旅券なしでも乗れるけれど、そのかわり、旅券入用の土地、例えば、英領植民地などへは、寄港しても上陸することを許されない――ところが、五十日近い海の旅を終えて先日日本へ帰ってみると、外遊中の留守宅を頼んで置いた鎌倉の某家へ、私宛に倫敦の下宿から厚い封書が届いている。シベリア経由だから私たちより先に疾《と》うの昔に着いたのだ。莫迦に重要めいてるが何だろうと思って開けてみると、出発の時あれほど骨を折らした古い旅券が出て来たには驚いた。手紙がついていた。
「御出発後、女中がお部屋を掃除しましたところ、戸棚の敷紙の下からこれが出て参りました。勿論あなた自身が安全のためそこへ入れて置いてお忘れになったものでしょう――。」
まさにそのとおりの記憶がある。いたずらにかの老婆をして名を成さしめたに過ぎないのが、私としてはいま遺憾この上ない次第だ。
ところが、倫敦《ロンドン》の領事館で貰って来た第二の旅券である。
これをまた神戸のオリエンタル・ホテルに忘れて来たと言って大騒ぎをした。
六月三日に神戸入港、八日横浜へはいるはずだったSS・H丸が、一日早く――NYKの船でも予定より早く着くこともあるという実証のために――二日に神戸へ投錨してしまったので、八日まで一週間近くも神戸桟橋の船内でぶらぶら[#「ぶらぶら」に傍点]しているわけにも往かないから、入港と同時に上陸してオリエンタル・ホテルに二日泊ったのだが
前へ
次へ
全30ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング