セ。
この間に処して、旅行者のための文章本《フレイズ・ブック》というものがある。が、これは余計だ。僕らも一通り揃えて持ち歩いたが、ほとんど使ったことがないと言っていい。肝腎なことだけは全部丁寧に抜かしてあるのだ。例えば、「あなたは羨むべき美しい声の所有主です」ことの、「きっと大歌劇に出ていたことがおありでしょう」ことの、という応接間的会話の羅列をもって充満されていて、よほど根気よくあちこち捜すと、「自分には七つの鞄がある」――なんてのを発見することもあるが、こういう成文《じょうぶん》は、実に、非実用の極《きわみ》、愚の到りで、あの忙しい停車場の雑沓で、へんてこ[#「へんてこ」に傍点]な外国語の本を開いて、駅夫相手にこんなことを言ったってとても[#「とても」に傍点]始まらない。それよりは耳でも掴んで引っ張って来て、七つの鞄を見せながら、白眼《にら》みつけるほうが早い――ということになる。そして、食堂で牛乳が欲しくても、靴下を洗濯に出そうと思っても、そういう俗悪なことは、この上品な文章本のどの頁にもないのである。
ナタリイ・ケニンガムは前まえから言うとおり二つの愛称を所有していた。ナニ
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