》の冬の瑞西《スイツル》のなかでも最上級のブルジョア向きと見なされている土地である。そのため、大概の人が怖毛《おじけ》をふるって、近処の村落に宿をとる。そして、そこからサン・モリッツへ通うんだが、このサン・モリッツの附帯地域中異色のあるのが、モリッツから一停車場|下《くだ》った、五千六百五十六|呎《フィート》の高さに、谷を挟んで巣をくっているCELERINA村だ。幾分経済的でもあり、第一気安だろうと思って、私たちも最初はこのツェレリナへ行ったのだったが、同じ考えで人が殺到して来るのと、ツェレリナ自身が近くにサン・モリッツを控えている利益を意識して、抜け目なくその好立場を効用化してる関係上、事実は、かえって中心のサン・モリッツのほうが遥かにぼら[#「ぼら」に傍点]ないことを発見したので、二、三日してあわててそっちへ移ったのだった。そして、これも、同様の経験から四、五日前にツェレリナを逃げ出して来た許《ばか》りだという、かのロジェル・エ・ギャレに会ったのである。
しかし、ツェレリナは、あの有名な聖《サン》モリッツのCRESTA・RUNの競技の終点に当っているし、スケイトもスキイも相当の設備が調っていて、わざわざモリッツへ出なくても、そこだけで独自の、金色の酒のような暖かい陽の照る、愉快な小地点《スポット》だった。
サン・モリッツは、大きく二つの部分に別れている。DORFとBADだ。つい先年までは、斜面の上のドルフでなければサン・モリッツでないように思われていて、下のバッドのホテルなんか多くの場合閉め切りだったものだそうだが、それが、この頃ではすっかり変って、各種のスポウツは勿論、名物の競馬などは、どうかするとバッドのほうが便利な程になっている。私達の選んだのは、ちょうどその真ん中へんの Hotel Beau Riverge だった。
冬の聖《サン》モリッツは、両大陸の流行の大行列だ。
倫敦《ロンドン》と巴里《パリー》と紐育《ニューヨーク》の精粋が、ウィンタア・スポウツに名を藉《か》りて一時ここに集中される。大小の名を持つ人々・名をもたない人々・新聞の写真によって公衆に顔を知られている紳士と淑女・知られていない紳士と淑女・女優・競馬騎士・人気作家・不人気BUT遺産相続で困らない作家・離婚常習犯人・商業貴族・生産のキャプテン達・彼らの家族中のJAZZ・BOYS・反逆
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