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ナタリイ・ケニンガムは、二つの愛称を所有していた。ナニイとNANだ。だかち、母親のケニンガム夫人は、この二個の名をいろいろに使って、娘を馴《な》らそうと努力していた。言うまでもなく、ケニンガムは倫敦《ロンドン》から来ている母子《おやこ》である。
粉末雪――この、軽い、塵埃《じんあい》状の雪は、スキイには持って来いだ。一ばん愉快な滑走が得られる。初心者が方向転換の稽古をするにも、この種の雪に限る。スキイの平行運動に強い粘着力が加わって、それが走者の体重にちょうどいい足場を与えるから――欧洲大戦後の都会での二十歳代の恋に似ている。それは、大学の芝生で、街頭《プロムナアド》で、キャフェで、その他あらゆる近代的設備の場所で、降るともなく積もるともなく飛び交す、塵埃《ごみ》のように素早い視線の雪だ。一番自由な、無責任な滑走が得られる。初心者が方向転換の稽古をするにも、この種の遊戯のうちに限る。恋の散歩の平行運動に快い粘着力が感じられて、そして、それがそのまま、彼または彼女の反撥を助けるから。
柔かい雪――つもるばかりで固まらない雪。ちょっと見ると莫迦に有望なだけ、スキイには大敵だ。第一、スキイが深く沈み過ぎるし、おまけに雪崩《なだれ》の危険がある。経験あるスキイヤアはこういう雪では決して遠くへ出ない。どんなに油と蝋《ろう》の利いたスキイでも、尖端に雪の山を押して折れるか、さもなければ全身埋没して動きが取れなくなる――呼び出し電話ばかり掛って来て、never どこへも行き着かない恋。年々|尠《すくな》くなりつつある Good Girls という型《タイプ》が、電話線の向端で標準国語を使っている。ちょっと見ると莫迦に有望なだけ、大いに注意を要する――とロジェル・エ・ギャレは説くのだ――第一、うっかり[#「うっかり」に傍点]してるうちに深く沈み過ぎるし、おまけに自ら感情のなだれ[#「なだれ」に傍点]を食う危険がある。つまり例の、泣きながら笑うようなことをいつまでも繰り返す、恋のヒステリイ発作だ。だから経験ある恋愛人は、こういう電話では決して遠くへ行かない。どんなに噪狂なダンス・レストランの「隅の卓子《テーブル》」ででも、または街路樹のさきが窓の下に揺れてるCOZYなアパルトマンの一室ででも、彼はただ「空っぽの恋愛」に埋没するだけで、どうにも動きがとれなくなるにきまって
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