も、これが初対面の挨拶なのである。もっとも私は、その後よく彼が、この「サン・モリッツの雪と近代の恋愛」という得意の題目で、到るところで未知の人と即座に交際を開始する手ぎわを見たことがあるけれど、何しろ、その時は最初だったし、それに、果して私にアドレスしてるのかどうか判然しなかったので、私は、彼に不愛想な一瞥を与えたきり黙っていた。すると、ロジェル・エ・ギャレは面白そうににこにこ[#「にこにこ」に傍点]して、勝手に私の横へ椅子を引いたのである。
 これでも判る通り、このロジェル・エ・ギャレは百パアセントの希臘《ギリシャ》人なのだ。古来ぎりしゃは、どこの国よりも多くの独断家を産出した点で、哲学史上有名な民族である。そして、この種の独断家には、出来るだけ思いがけない場合に、出来るだけ思いがけないことを、例えば、同盟|罷業《ひぎょう》を討議中の労働組合総会の席上で、やにわにダフォデル水仙の栽培法を説き出したりなんかして、人をびっくりさせることも、その才能の一つとして公認されていなければならない。
 水仙《ダフォデル》を手がけて最上の効果を期待していいためには、まず、排水の往き届いた、※[#「土+盧」、第3水準1−15−68]※[#「土+母」、261−10]《ろぼ》性粘土の乾涸《かんこ》せる花床《はなどこ》に、正五|吋《インチ》の深さに苗を下ろし、全体を軽く枯葉で覆い、つぎに忘れてならないことは、桜草属《ピリアンサス》の水仙だけは、他種に比較してよほど繊弱だから、これは、機を見て早く移植する必要がある。ETC・ETC――と言ったような、こんな主張が、希臘《ギリシャ》生れの独断家においてのみ、その「頭の熱い」ストライキの議論と、何と不思議に美しく調和することであろう!
 で、私は、頷首《うなず》いた。
 彼は、自分の唐突な説が、私の上に影響したであろう反応を見きわめるために、身体《からだ》を捻《ね》じ向けて、私の顔を下から仰いだ。
『ははあ! 驚いていますね。しかし、驚異は常に智識のはじめです――。』
 こう言って、彼は、少女のように肩で笑いながら、彼のいわゆる「方程式の証明」に取りかかったのだった。
 私は、片っぽの耳だけを希臘《ギリシャ》人に与えて、もう一つの耳では、バワリイKIDSの狂調子を忠実に吸い込んでいた。
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Was it a dream ?

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