、戸口が人を吸い込んだ。その人は、激しく投げ出された身体《からだ》が、機会的にルセアニア人の寝台を打って、その拍子に彼と並んで、そうして私と向き合って、上手に腰かけたので、やっと倒れることから自分を防いだ。それは、指を鳴らしたような出来事だった。私は、ルセアニア人へ話しかけようとしていた言葉を、唇の上で揉《も》み消したまま、この不可抗力による闖入者《ちんにゅうしゃ》を観察《スタディ》した。
 彼女は、アストラカンの長い外套を着て、空想的な創造になる黒のフェルト帽をかぶっていた。顔は、プラタナスの落葉の吹きつける百貨店の飾窓《ウインド》に、春の先駆を着て片手を上げている茶褐色の衣裳人形のように、どこまでも人工的な印象だった。眉は、細い鉛筆の一線だった。大きな口が、官能の門を閉ざしていた。眼は、熟さない林檎《りんご》の皮の青さだった。それが、汽車の震動を誇張して、二つの驚愕の窓のように見ひらかれていた。
 彼女は、咽喉《のど》の奥から笑いを転がし出して、含嗽《うがい》をした。そして急に、執事のような真面目な顔を作った。それから、この椿事《ちんじ》を説明すべく、両方の肘《ひじ》を左右へ振った。
『何て揺れる汽車でしょう!』
 こうして彼女の全身は、私達のコンパアトメントのものとなったのだ。それなのに、彼女は、そこにそうして存在を延長していていいという私たちの許可を、沈黙の眼で促しているのである――。
 私は、必要を認めて、同室者の意見をも兼ねた。
『私達は、すこし神経質なのです。お互いに鼻を見ては笑い、つぎに悲しそうに考え込んで、果ては寝台を相手に大声に喚《わめ》くだけのことです。居らしっても、面白いことはあるまいと思います。』
『私は、このままここにいていいのでしょうか。それとも、もう一度、あの車廊の遊動木を渡って、自分の部屋まで旅行しなければならないのでしょうか。』
『御随意に。』
 私はうしろへ反《そ》って、両脚をぶらぶらさせた。そのほうが、汽車の速力を助けるように思えたからだ。
『しかし、ご覧のとおり、私の同室者は、もう靴を脱いでしまって、靴下だけで床を踏んでいるのです。それさえお差支《さしつかえ》なければ――。』
 すると、彼女の表情を、私への軽侮が走った。この私の紳士性は、彼女の憐愍《れんびん》を買うに充分だったのだ。
『何という興味ある話題でしょう!』
 彼女は、俄かの喜悦を示すために、外套の襟を抱き締めた。そして、前屈《まえかが》みの姿勢を採って、私達二人を聴衆に、こういう驚くべき秘密結社の暴露に着手したのである。
『明らかに、あなた方は、まだ、国際裸体婦人同盟に関して、何らお聞きになったことはないと見えますね。女でさえ今は裸体を主張しているのに、男の方が、靴下一枚でいたって、それが何でしょう? 国際裸体婦人同盟は、アントワアプに本部のある最左翼解放運動の前線で、言わばその独立活動隊です。会員は、目下|欧羅巴《ヨーロッパ》じゅうに七十人あまりですが、そのなかには、あの「|幸福な白痴《ハッピイ・フウル》」を書いた倫敦《ロンドン》の劇作家モウド・ハインもいます。巴里《パリー》の雑誌記者が三人います。リデルヒブルグ大学の生物学教授シャンツ夫人もいます。最近では、ワルシャワ歌劇団のソプラノ花形のリル・デ・メル嬢と、ルツェルンの美容師で、六十七歳になるお婆さんとが加盟しました。そのほか、詩人、労働運動者、音楽家など、勿論みんな智識階級の女ばかりです。』
 彼女は語を切って、自分は何も国際裸体婦人同盟の宣伝をしているのではないと、私達を誤解から切断しようとした。私たちは、私達も今ちょうどそういう話を始めるところだったからと言って、彼女に、続けることを頼んだ。
『同盟の信条は、ごく簡単です。年中裸体で生活すること。これだけです。但し、外套と靴下は特別に許されることになっています。外套は、必要に応じて寒気を防ぐため。そして靴下は、跣足《はだし》で歩いていい設備が、まだ多くの都市に出来ていないものですから、仕方なしに靴をはく、その附属品としてです。が、そういう方面の訓練の全く欠けている、教養のない男達の眼から、私たちが裸体でいることを隠すために、私達は、四六時中どんな要心を強いられていることでしょう! 余計な注意を惹いて悶着を起したくないからです。それでも、私たち国際裸体婦人同盟の会員にとっては、裸かでいるほうが遥かに自然なのです。近代の女は、現世紀の狂気じみた性の騒ぎには、飽き飽きしました。性のことなど、問題にすべきではないのです。誰が、食べ物のことをそう喧《やかま》しく言う人があるでしょう? 性は、はじめから種族的な「縦の本能」に過ぎません。人間には、もっと社会的な「横の仕事」がたくさんあるはずです。ところが、この簡単な「性」に神
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