士官学校生徒のような、身体《からだ》の輪廓に喰い込んだ水色の男装をしていた。それはあの護謨《ごむ》糸で自動的に中箱の引っ込む仕掛けの、ミラノ製の Italianissima 燐寸《マッチ》のような、非常に役立つ、寸分の隙《すき》もない効果だった。夫人によれば、近代社会の大きな間違いは、男女の性別を不可侵の事実として、これにだけは手をつけようとしないところにあった。なぜか? われわれは生理学を矯正して優生学を案出したではないか。そのほか大学の講座はあらゆる反逆の科学で重いのだ。研究室の窓からは既に手のつけられないほど増長してしまった人造人間が二十三世紀の言語で通行の女にからかっている! うんぬん・うんぬん・うんぬん。
ヴィクトル・アリ氏は鳩撃ち大会が済むまでは禁酒していると言ってグラスを無視した。そして必ず一度灯にすかして見てから水を飲んでいた。
キャフェは博奕場のこぼれで溢れていた。私達の隣のテエブルには、地図で見ると上の端のほうに当る国から来たらしい二人の青年が、皮肉な眼をして「金髪《ブロンド》」を飲んでいた。スウプのなかへ麺麭《パン》を千切《ちぎ》って浮かすことの好きなミドルエセックス州の代言人《ソリシタア》や、絶えず来年度の鉄道延長線の計画を確かな筋から聞き込んだと吹聴しているプラハの土地利権屋や、コルセットの留金《とめがね》が引き釣ってきっと靴下の上部に筋切れがしてるに相違ない巴里《パリー》下りのマドモアゼル――でみ・もんでん――や、南|仏蘭西《フランス》の汽車中に英語の掲示がある・ないで今大議論を戦わしている亜米利加《アメリカ》の老嬢たちや、こういう夜と昼をはき違えた群集がめいめい他人の言葉を押し返してそれに勝つ必要上ほとんど絶叫に近い大声を出しあっていた。そこにはまた交通巡査のように冷静な猶太《ユダヤ》人の給仕長があった。通路に屯営《とんえい》して卓子《テーブル》の空《あ》くのを狙っている伊太利《イタリー》人の家族|伴《づ》れがあった。そのなかの娘は待ってる時間を利用して立ちながら絵葉書を書いていた。銀盆に電報を載せたボウイが「いつものテエブルにいるいつものムッシュウ」のところへ走っていた。伊太利《イタリー》人の娘と衝突して両方が笑った。ここから一つの恋が噴出すべきはずだと私は観察した。這入って来る人ばかりで誰も出て行く人はなかった。ちょうど今日から明日になろうとしていることを私は歯科医の腕時計で読んだ。
そして独逸《ドイツ》人に言った。
『僕はオテル・エルミタアジュのあなたの部屋の番号を知っています。三十六号でしょう? 自分は妻と別々の部屋を取る習慣だなどとは仰言《おっしゃ》らないでしょうね。』
ところが彼の驚愕が私を驚愕させたのである。しかも彼のは覚えのない罪を責められる人が不思議そうに示す種類の驚愕だった。
『妻ですって? あなたは人違いをしている。悲しいことだ。私は結婚するほど旧式でもないし、オテル・エルミタアジュはちょっと外部から見たことがあるだけです。』
私はじぶんが単なる即席の思いつきでこの個人的な会話を切り出したのではないという立場を守護するために、すこしばかり顔を赤くして粘着《パアシスト》した。
『あなたに関する僕の知識はそれだけではないのです。僕はあなたがコロンの製鋲《せいびょう》会社の社長であることも、亜米利加《アメリカ》から妻楊子《つまようじ》を輸入した本人であることも、そしてそのために何艘の英吉利《イギリス》貨物船を傭船《チャアタア》しなければならなかったか――すっかり知っているつもりです。』
『じつに恐るべき独断だ!』
独逸《ドイツ》人は卓子《テーブル》を叩いて酒杯《グラス》にシミイを踊らせた。
『私は単なる正直な映画技師です。』
私は黙った。これ以上主張をつづけることはこの肥大漢と私とのあいだの決闘に終りそうだったから。しかし、それにもかかわらず私は、自分のほうが正しいことを確信していた。なぜなら、現に今夜の若い時間に、彼の妻のいが[#「いが」に傍点]栗頭の波斯《ペルシャ》猫がわざわざ私に指示してこの男が良人《おっと》であると証言したではないか。
ヴィクトル・アリ氏の大笑いが一同の注意を要求した。
『解ってる、わかっている!』
彼は眼と眼の中間で両手を泳がせていた。それは明かに可笑《おか》しさのあまり駈け出して来ようとする泪《なみだ》を睫毛《まつげ》の境いで追い返すための努力を示していた。ばらばら[#「ばらばら」に傍点]の言葉でアリ氏は唱え出したのである。
『――あの人はハンブルグの荷上《にあげ》人夫ではないのです――あの人は毎朝熱湯の風呂へ這入って自分の身体と一しょに茹《ゆ》で上った玉子をそのお湯のなかで食べるのです――それから、あの人のそばへ寄るとリンボルグ、じゃなかった、ラックフォルト乾酪《チイズ》のにおいがする、と言いましたね。それから、それから――あの人の足の小指は赤い蘇国毛糸の靴下のなかで下へ曲っている――こうでしたね?』
『それはどういうお話しでしょう!』
フランシス・スワン夫人が将校のようにずぼん[#「ずぼん」に傍点]のポケットへ手を入れて訊いた。
7
ちょうどそこへ、髪油《かみあぶら》を手の序《ついで》に顔へも塗ったような、頬の光った楽長が近づいて来て何かお好みの曲はございませんでしょうかと質問したので、私が一同を代表して「ハリファックスへ行くように」と勧告した。すると突然私の鼻さきに菫《すみれ》の花が咲いた。それは安価香水のにおいと田園の露を散らして私の洋襟《カラア》を濡らした。曲馬団の少女のようなモナコの風土服を着た花売女がわざと平調な英語でその一束をすすめていた。これは私にすこし考えるところがあって買うことにした。私は女の残して行った菫の花を嗅《か》いでみた。それにはアルコウルの疑いがあった。そして不自然にまで水をかぶって重かった。私は巴里《パリー》モンマルトルのキャバレLA・FANTASIOを思い出した。そこでは売った花束を、酔った所有者が席を離れて踊ってるあいだに、その花売娘が廻って来てこっそり[#「こっそり」に傍点]持って行ってしまうのである。そしてそれに水をかけ、香水を振ってまた売りに来るのだ。こうして同じ花が一晩に何べんとなく新装して売りに出される。そして人は自分の買った花束を朝までに何度買わされるか知れないのだ。
ここのもそれではないかと私は思った。で、私は花売女に盗まれないように卓子《テーブル》の上で菫の束を握っていることにした。が、それでも不安だったので、私は妻の口紅棒《リップ・ステック》を借りて花を結んである紫のりぼん[#「りぼん」に傍点]の端へ|X《クロス》をつけた。そしてようよう安心することが出来た。
みんながヴィクトル・アリ氏の口を見詰めていた。そこからは露西亜《ロシア》煙草のけむりと一しょに言葉がぞろぞろ這い出していた。それらが空中でいろいろに繋《つな》がって、こういう一つのモンテ・カアロ風景を作り出していた。しかし、これは私があんまりロンシャン競馬場の泥みたいな土耳古珈琲《トルココーヒー》にコニャックを入れ過ぎたので、その御褒美《ごほうび》に、キャフェ・ドュ・パリの空気が私にだけ見せてくれた蜃気楼《しんきろう》だったかも知れないのである。
私は菫を逃がさないように注意しながら、アリ氏の物語に追いついた。
『――それはまだあのルイという貨幣――二十五|法《フラン》――が仏蘭西《フランス》にあった頃ですから、大戦前のことでした。
いつの間にかシリア生れのひとりの若い男が、暇な時のキャジノの役員たちのあいだに話題に上っていました。その男は流行|上履《うわばき》のような皮膚に端麗な眼鼻をもった美青年でした。が、彼が評判になったのはそのためではありません。毎晩決まったルウレット台のきまった椅子に坐り込んで、最小額の十|法《フラン》ばかり賭けつづけていたからでした。いや、きまっていたのはそればかりではありません。彼の賭ける数も一つに限られていました。それは二十三でした。なぜ彼が23を選んでそんなに固執したかというと、その理由は彼にとって到って簡単です。当時かれは二十三歳だったからです。一体博奕場へ出入りするもののあいだには、数に関する妙な脅迫観念のようなものがあって、銘々がめいめいの「数」を大事に持って守っています。それは或る人にとっては生れた日であったり、または名前の綴りの字数であったり、その由《よ》って来たるところは千差万別ですが、みな自分の数字を限りなく神聖なものとして、それに絶対の信を置いていることは同じです。で、「23」もそういうわけで、いつも二十三へばかり賭けていたのでした。こうしてキャジノの内部で「23」が彼の代名詞にまで有名化した時です。
その晩かれは例によって「自分のルウレット台」で十|法《フラン》の最小限度を二十三に張り抜いていましたが、ふと気がつくと、何かしら異状に冷たい固いものがかれの大腿《ふともも》を横から押しているのです。何だろう?――「23」は下を覗きました。御存じの通りルウレット台の下には何の仕掛けもありません。が、彼はそこに無意識らしく迫っている隣の女の脚を発見したのです。
その女というのは、高級売春婦以外の何者にも踏めない、三十あまりの、それでも、見たところはたしかにパリジェンヌのようでした。彼女は鋼鉄色の薄い夜会服を着て、廻転盤と「白い丸薬」との機会的な接吻に眼を据えているだけで、たといもう一度あの大戦がぶり返して来ても、自分だけはこのままにしておいてもらいたいと言った様子でした。ですから、もちろん無意識でしょうが、女の脚は夢中のあまり椅子から乗り出して、「23」の大腿部にしっかり触れているのです。ここで若いシリア人は、盤面の二十三に対する愛着以上の興味を感じなければならなかったはずです。なぜ? 地下鉄《メトロ》の雑沓で女の脚が押して来る。押された男は、それが地下鉄会社が乗客へのお礼に出している景品であるかのように、特権としてその接触を享楽するのがつねではないですか。近代都市の交通機関内では、朝夕どれだけ多量にこの擬似性慾が消費されていることでしょう。時としてそれは立派な情事でさえあると私は思います。しかし、言うまでもなくそのためには、押して来る女の脚が飽くまでも忍びやかに、そして両方の着物をとおしてふっくら[#「ふっくら」に傍点]と暖かい体温が通い、血のときめきが感じられる――といったような条件が必要でしょう。だからこの「乗物のなかの相手」には処女よりも人妻のほうが面白いと今アレキサンドリアへ書記生になって行っている私の悪友が言ったことがあります。とにかく、これほど議論の多い「都会的交渉」をその未知の女と持つことになったのですから、「23」はこの先方から向いて来た幸運に感謝すべきだったかも知れません。かれは挨拶のために自分の膝でそっ[#「そっ」に傍点]と隣りの女を小突いてみました。そして驚くべき発見に出会ったのです。
はじめに彼の注意を惹いた冷たい固いものは、他ならぬその女の脚だったのです。じつに彼女の脚は、鉄板のように冷徹でした。岩石のように堅固でした。そして、コンクリイトのように細かくざらざら[#「ざらざら」に傍点]に固形化している表面が、「23」にも明かに感じられたといいますから、彼の興味は一時にほかの方角をとりました。岩のような脚をしている女! 好奇心が「23」を打ったのです。彼はシリア人らしい物静かさでその女のスタディを開始しました。
ゲイムが進むにつれて、女の脚はますます圧迫して来ます。彼も脚でそれに答えながら、それとなく席の横へハンケチを落して、拾い上げる拍子に手で触ってみました。たしかに鉄です。石です。コンクリイトです。彼はだんだん大胆になって、腿で押し返したり、公然と手で撫でてみたりしましたが、女は気がつく風もありません、しかし、これは無理もありますまい。女にしてみれば、まるで部屋の外壁へ微風が当っているようにしか感じな
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