ナす、マダム。』
 私は給仕長のように散漫な好色を隠して言った。
 すると、罩《こ》もった空気を衝《つ》いて彼女の金属性の微風が掠《かす》めたのだ。
『あら! どうしてそれを御存じ? 三六号はオテル・エルミタアジュのあたしの部屋の番号よ。』
 彼女の胸で二つの小丘がわなないた。同時にCIRO真珠飾りがちらちら[#「ちらちら」に傍点]と鳴いて、彼女は歯を見せずに笑った。ぷろしゃ聯隊の伍長のように青々といが[#「いが」に傍点]栗に刈った頭がいつまでもいつまでも笑いに揺れているのである。それにしても、どうして私は彼女の部屋の番号なんぞ知っていたんだろう? 私はあわてて、36はいま私の立ってるルウレット卓子《テーブル》で玉の落ちた番号に過ぎないと彼女に告げた。が、そのときはもう全然ほかの興味に彼女は身を委《ゆだ》ねていた。雨の日のシャンゼリゼエに留度《とめど》もなく滑る自動車の車輪《タイヤ》のように、彼女は自分の心頭《しんとう》がどこへ流れて行くかじぶんで知らないのである。またその自動車の後窓に、都会の迷信中の傑作として護謨《ごむ》糸に吊るされて踊ってる身振り人形のピエロのように、彼女は近代的
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