ヘ思った。
 フランシス・スワン夫人は彼女がホテルの日光浴外廊のアペレテフの上で私と私の妻に告白したとおりに、セルビヤの将軍の娘だった。そこで私はその白鳥《スワン》という姓があんぐれかえたゆに[#「あんぐれかえたゆに」に傍点]系統のものであることを指摘して、夫人に満足な説明を求めたのだった。それに対して彼女は、二つの角砂糖のあいだへ食卓の花挿《はなさ》しから薔薇《ばら》の花びらを一枚採って挟みながら、言いはじめたのである。『ムシュウ・エ・ダム。私はオデッサの大学を出ると直ぐ第三国際の宣伝員として黒海に沿うすべての都会の裏街で売春婦たちと一しょに人参《にんじん》と洗濯|石鹸《しゃぼん》を食べて生活しました。彼女らに彼女らの社会の採用した新しい政治様式の哲理を根本的に知らせるためだったのです。が、間もなく私はその無駄なことに気がついたのでした。なぜって、彼女らはみんなコルセットに手製のポケットを縫いつけて、そこへ醜業で獲《え》た三|留《ルーブル》七十|哥《カペイカ》と一緒に、兵隊達が旧家の客間から盗み出した聖像を押し込んでいるんですもの。経済と宗教を同居させるなんて、前者にとって何という冒
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