「な。』
 私が激励した。すると19はにこり[#「にこり」に傍点]ともせずに答えるのだった。
『はい。皆さまがそう仰言《おっしゃ》いますので、すっかり承知しております。』
 で、いきなり地面がうしろへ滑り出した。
 ランチャの後部席には巴里《パリー》一流の鞄店で買い集めて来た私たちのスウツケイスが晴天の朝のカプリ島のようにかがやいていた。そのなかでも Claridge の館表《ステッカア》だけを一枚貼った深紅の女持ち帽子箱と、二人のゴルフ棒《クラブ》を差した縞ズックの袋とが人眼を引いてるようだった。が、私達の誇りはそれだけではなかった。妻はわざと帽子をとって、水玉模様のスカアフと一しょに短い断髪が風に流れるのに任せた。私は彼女の足を蜥蜴皮《リザア》の靴と一しょに自動車用毛布《モウタア・ラグ》で包んでから、私の自動車用革外套の襟を立てて、自動車用鳥打帽子の鍔《つば》を下げて、自動車用ブライアにダンヒルの自動車用|点火器《ライタア》で火をつけた。そしてうしろへ倚《よ》りかかった。外套の下に私は緑灰色のゴルフ服を着ていた、ゴルフ靴下の房も言うまでもなく緑灰色だった。彼女は厳選したアンサンブルのうえから大きな巻毛の自動車用コウトで埋めつくされていた。そして一分おきに自動車用|手提《てさげ》から自動車用鏡を出して薄飴《うすあめ》いろのKEVAの口紅をアプライしていた。19の黒い制服には金釦《きんぼたん》が重要性をつけていた。すべてが巴里《パリー》からドライヴして来た人に相応《ふさわ》しい「長い途《みち》に狐色になった荒《ラフ》さ」だった。私は彼女の肩に手を廻して、19がますます速力を踏んで一時間七十七|哩《マイル》するのを微笑によって黙許しておいた。
 私達は高《アパ》コルニッシュ街道の行手にモンテ・カアロが出現するのを待っていた。
 Monte Carlo !
 モンテ・カアロだけは別だ!
 これは地球に打ちこまれた蛇眼石《じゃがんせき》の釘《くぎ》みたいなものなのである。女悪魔のコンパクトに幽閉されていて、開けるとすっ[#「すっ」に傍点]と吹いてくる冷たい微風のような場処である。
 このモンテ・カアロは太陽の下のどこよりも盛大な国際的|自由意思《ケア・フリイ》を唯一の価値として実行《プラクテス》しているのだ。その驚くべき原動力は、鉄片のかわりに黄金を引きよせる特殊装置の磁石にある。そこでは近代的に洗練された物質が――そして物質だけが――公認の王位に就いて二大陸の名士連《セレブレティス》を踊らせているのだ。どうしてここへ「自動車一台持って歩かない普通《カマン》の旅客」として汽車で着くことが出来よう! 停車場から来た人はホテルでも直ぐに二流の客と踏んでしまうに違いないのだ。それはこの愉快に軽跳な物質慾の環境への驚くべき冒涜でさえもあり得るのだから、しごく無理もないことだと私は自分に言いきかせた。そこでこうして自家用自動車を自家用運転手に運転させて巴里《パリー》からすっ[#「すっ」に傍点]飛ばして来たもののごとく見せかけてホテルの玄関へ乗りつける必要があったのだ。そしてそのためには、例《たと》え空っぽでも衣裳鞄の一つや二つは余計に持ち、ゴルフ道具と乗馬服だけはゴルフと乗馬に何らの関係なく、忘れることを許されないのである。これではじめてホテルも真剣に相手にしてくれるだろうし、私たちも「上品な自信」をもって周囲の華麗さに接することが出来るだろうし、誰とでもほほえみ交して最近のHITである芝居の評判を話題に上《のぼ》せられるだろうし、そうしてモンテ・カアロの中心に潜り込んでその柱石《キャプテン》たちと混合《ミキサア》し、彼らのあいだに流行するカクテルの秘密をさえも知り、彼等の愛好する冗句《ジョウク》に哄笑し、かれらの doings をDOすることが可能であろう。つまりこれから欧羅巴《ヨーロッパ》最前線の「|速い一団《ファスト・セット》」に私達も参加しようとしているのだ。Tra−la−la !
 ホテルへはマルセイユから電報してある。
“Coming this evening. Mr. and Mrs. Tany.”
 私は満足の眼でもう一度身辺を検査した。
 この、私達とモンテ・カアロとを最も効果的に結びつけるために、私たちはその目的で取っておいた別経済の三分の一を今度の服装と持物と所謂《いわゆる》「|おもて見《フロウ卜・シャウ》」の全部へ新しく投資したのである。そしてこの瞬間の発明になるダンスのステップは、出て来る前にことごとくマスタアしたはずだ。しかも、私達のような人のためにひそかに存在しているあのアンティブの車庫を利用して、競馬馬のようにスマアトなこのランチャと、裁判官のように厳粛な「19」とを手に入れることに成功したではないか、何がほか
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