E馴鹿・かんがるう・野犬を襲撃するくだりには、それらの生物に対する氏の同情が切々と溢《あふ》れ出ていて、ジェネヴァに本部のある万国動物愛護会が特にこの一節の抜粋を番外週報として一般に配布したくらいである。ヴィクトル・アリ氏は来月中旬の鳩撃ち選手権大会に出場のため滞在しているのだった。
 ジャルデノ・バルベニ氏夫妻――羅馬《ローマ》ボルゲエス家の姻戚に当る伊太利《イタリー》貴族。夫妻とも、すべての伊太利《イタリー》人と同じに耳のうしろに垢《あか》を溜めて、それを落さないように朝夕深甚の苦心を払っていた。バルベニ氏はずぼんのポケットに洋銀の靴箆《くつべら》を入れているのが動くたびにはっきり見えた。夫人は赤皮の飛行帽をかぶって素膚《すはだ》の脚へおれんじ色の紛おしろいを叩くことによって靴下以上の効果を出していた。
 オルツィ男爵夫人――山腹の Villa Bijou で毎土曜日ダンスを催す。誰でも知ってるとおり、平穏に年をとって来た英吉利《イギリス》の探偵作家だ。今なら Villa Bijou, Monte Carlo というアドレスだけでファンの郵便が届くだろう。
 パデレウスキイ氏――白い長髪にちょこん[#「ちょこん」に傍点]と帽子を載せて裾《すそ》の長い外套を着ている人。ホテルの食堂の音楽家を恥かしがらせないように注意していつも発見しにくい隅の卓子《テーブル》へつく。
 それから朝飯《プチ・デジュネ》の盆に載って部屋へくる新聞を見ると、片眼鏡の外相オウステン・チャンバレンの夫人もこの Hotel de Paris に泊っているとあるけれど、どれがその人かちょっと私には判らないのである。が、丁抹《デンマーク》の王様だけはホテルの社交室で一眼で認めることが出来た。王様の身長は六|呎《フィート》五|吋《インチ》である。私達はコペンハアゲンでよくこの巨人王のことを聞かされたものだが、それがいま私たちのいるホテルで外《ほか》ながらお眼にかかれたわけだ。王様と女王さまは毎年キャンヌへおいでになる。そしてそこを根拠にジュアン・レ・パン、アンティブ、ニイス、モンテ・キャアロ、マントン、サン・レモと incognito でお歩きになるのである。
 こうしてオテル・ドュ・パリは全|欧羅巴《ヨーロッパ》の上流と礼服と談笑と香気と宮廷風の大装飾とによってLIDOの電気看板の飛行をはじめたようにモンテの官能を刺戟していた。
 私たちも礼服へ jump in して。私達も談笑の急流を渉《わた》った。香気のために私は毎朝オウ・ド・コロンを飲んで、頭髪にはゴミナ・アルジェンテンの固化油《オイル》を使用した。妻は英吉利《イギリス》直輸入の婦人煙草「|仕合せな夢《ラッキイ・ドリイム》」を喫《ふ》かしつづけた。そして爪を三角に切って貝細工の光沢を模倣するのに午前いっぱいかかった。

     4

 私達はマルセイユ発ヴァンテミイユ行きのP・L・M列車をアンティブで見捨てたのだった。
 そのとき一七八八年以来の記録にない氷の風が北極から露西亜《ロシア》と波蘭土《ポーランド》の野原を吹き抜けて欧羅巴《ヨーロッパ》の主要部分の都会の記念塔とアパルトマンの窓枠とを痛そうに揺すぶっていた。
 KEWの役人が両手を空中に抛り上げて宣言した。ファロ列島の東部に精力を持つ高気圧がある。この北極風が労農共和国の氷原を撫でて来るために現在の寒さであると。つまり、すべての社会的妨害がそうであるように、この天候の場合も原困は狂的露西亜《クレイジーロシア》の世界呪文の有難くない反応であると彼らは言いたいのだ。
 が、それとは関係なしに、ルウマニアでは汽車が雪の下に寝ころんで、旅客は工兵隊が風俗博物館から応急に借用して来て雪中に立てた亜刺比亜煙管《アラビアパイプ》を通して外部の家族と会話していた。
 ウィインでは大型輸送自動車の陸軍飯場《キャンティン》が街上に出張して、通行人と好奇《ものずき》な外国人の旅行者に羊の脂肪肉と麺麭《パン》屑と上官の命令とを煮込んだ熱湯汁を無料分配していた。百貨店帰りの若い売子女の飲んだあとからは、兵卒達が口紅を舐《な》め取るために先を争った。ダニウブが六|呎《フィート》の厚さに氷結して子供たちはみんなスケイトに行ったのでブカレストの学校は自然に閉鎖された。
 独逸《ドイツ》では、スプリイ河と魚類の意識が凍って、浮浪人はその無機物化した魚を発掘して来ては湯桶《バス・タブ》に放して蘇生させて売っていた。伯林《ベルリン》ではすべての市街自動車のエンジンを一晩じゅう動かしておくことによって夜中に発動機油の氷結するのを防がなければならなかった。
 マンチェスタアではフィルズ製鉄会社の地下室蒸気釜が、氷ってたところへ急に加熱したので破裂して三人の職工が釜と一しょに即死した
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