瘁tにしていた角砂糖と薔薇のサンドウィッチを口へ入れようとした。私が心配して注意した。
『小枝を切って絵具の溶液へ差しておくと、花がそれを吸い上げて自働的に着色されます。ニイスあたりでは、そういう薔薇をトルキスタンの花崗岩《かこうがん》帯で発見された珍らしい変種と称して町かどで売っています。おもに謝肉祭の花合戦に恋人同志が投げ合うのですが、首と手足の太い英吉利《イギリス》女なんかがそのまま故国《くに》の従柿妹《いとこ》へ郵送出来るように、一、二輪ずつ金粉煙草《ゴウルド・フレイクス》の空缶へはいって荷札までついていて、値段は五十|法《フラン》です。なかには、物を舐《な》める習癖のある赤ん坊はこれで自殺出来るほど、着色液の性によっては有毒なのがあります。その一種かも知れませんから、お砂糖に挟んで食べるのは中止なすったほうがいいでしょう。』
これが私の妻を噴き出させた。彼女はH・Pとロココ風に略字《モノグラム》のつながった銀の匙《さじ》で私の手の甲の静脈を叩きながら、古代ヘブライ語で私をたしなめたのである。
『何を言ってらっしゃるの? 造花じゃありませんか、これ。』
そして、自分でその花片の一つを※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》ってむしゃむしゃ[#「むしゃむしゃ」に傍点]食べてしまった。もちろんこの時は既に薔薇のサンドウィッチはフランシス・スワン夫人の胃の腑のなかにあった。例《たと》えそれが星のかけらであっても、食卓に出ている以上、この女達は※[#「魚+是」、第4水準2−93−60]薬味汁《アンチョビ・ソウス》をつけてフォウクに刺して舌へ載せたことであろうと私は推測した。
消化された薔薇がそのまま声になってフランシス・スワンの口を出はじめる。
『巴里《パリー》へ行ったのはオウトバイ競争の選手になるためでした。そこで私は遠乗《とおのり》協会の会員章の色ネクタイで髪を結んで、フランチェスコ派の苦行僧のように跣足《はだし》に皮草鞋《サンダル》をはいて三十六時間もぶっ続けにペダルを踏んだものです。が、それは私に一つの婚約を持って来るよりほか何の役にも立ちませんでした。男はバルセロナ出身の立体派画家で闘牛の心得もあったようです。「霧の中を往く馬車」というのと「虹の夢」という二つのカクテルを混ぜるのが彼の独特の技能でした。そして彼は、私の銀箔《ぎんぱく》の訪問服へ聖《サン》エミリオンの葡萄酒でその頃理論的に評判のよかったサンジカリズムの絵を描いてくれました。鉄鎚《てっつい》は鉄鎚で集まり、車輪は車輪であつまり、あちこちに調べ革と木靴の模様が散らばっていて、ちょうどお尻のところに聖書が一冊描いてありました。だからそれを着てグラン・ブルヴァウルを歩くことはどんなに私を楽しませたでしょう! キャフェ・ドュ・ラ・ペエ! あすこらの椅子に腰かけると、私はたちまち聖書をお尻に敷いてるのです! 彼はまた手の平に隠れる豆ヴァイオリンを持っていて、夜はそれでTOSCAの愁嘆を弾いて私の涙を誘うのでした。そうして彼は私を伴《つ》れて亜米利加《アメリカ》へ渡りました。あめりかでは、私たちは私たちの智的さを秘密にして帰化することに成功しました。スワンという名はこうして出来上ったのです。彼は、忙しがって衝突して首の附け根を折るウォウル街の株屋や、地下鉄で自ら進んで「|春の鶏《スプリング・チキン》」に足を踏まれたがる「神呪された胡桃《くるみ》」の多いのを目的《めあ》てに、紐育《ニューヨーク》で接骨医を開業しました。が、まずその電気広告費を稼ぐために、彼は毎日違法倶楽部の酒台の向側でカクテル壜《びん》を振らなければならなかったのです。彼が急死したのは、この選挙演説のように激しい振子運動がふだんからあんまり丈夫でなかった彼の心臓へ致命的に影響したのだと、倶楽部の医者が啣《くわ》え葉巻で走り書きした死亡診断書にありました。あとの私のことは多分あなた方のほうが詳しいくらいでしょう。』
私はあわててこういう言葉を挿入する必要を感じた。
『言うまでもなく、近代の新聞はすこし五月蠅《うるさ》くなりかけています。あなたなども随分個人的に立ち入った報道をされて御迷惑なすったことでしょう。』
夫人は指を鳴らして、この私のお世辞に対する喜ばしき受領証の笑いに換えた。
『事実は私は女秘書聯盟の書記になって午飯《ランチ》の休憩時間を一時間増すための全国的運動を起してそのかげに隠れて加奈陀《カナダ》総同盟の最左翼と結託しようか、それともハリウッドへ行って映画女優になろうかとずいぶん考えたのです。で、結局、ハリウッドへ出かけてメトロ・ゴウルドウィンの配役監督に面会したのですが、海水着に日傘をさして腰で調子を取って歩く試験にも、出来るだけ情熱的に接吻する試験――相手はその
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