tフェラの別荘へ出かけることが出来るのだった。その途中モンテ・カアロにとまって、カフェ・ドュ・パリの前で私の妻のレンズをじろりと白眼《にら》んでそれでも彼女がすなっぷ[#「すなっぷ」に傍点]するまで周囲の人々との会話を中止していられた。ロイド・ジョウジの一家族は土曜日のキャンヌのレディ・ブウトの晩餐会を振り出しに、舞踏と招待とリセプションとが十五分おきに全旅程を埋めつくしていた。ひそかにコンミュニズムを信奉する一青年記者が、部屋つきの給仕に化けてその貸切室へ出入し、十五分ごとに彼らの言動のすべてを倫敦《ロンドン》本社へ直通電話していた。しかし新聞には彼の言わないことばかり出るといって、召使用|昇降機《エレベーター》のなかで非常に悄気《しょげ》ている記者を私は見たことがある。君も早く感想兼自叙伝の印税で家内じゅうで特別旅行をするがいいと私は彼を慰藉《いしゃ》しておいた。が、このぶるじょあ的|諧謔《かいぎゃく》は彼には通じないようだった。そしてロイド・ジョウジは依然としていつ万年筆と記念芳名録を突きつけられて署名を求められても困らないように右の手だけ手袋をせずにオテル・パリの廊下で杖をついて、それからあの有名な眼尻の皺《しわ》と同伴でしじゅう外出していた。自動車の踏板へ片足をかけたところで「|どうぞ《プリイズ》!」と呼びかける写真班へは、彼は常に選挙民のために貯蔵してある微笑の幾らかを許した。この姿態《ポウズ》が一ばん漫遊中の国民政治家らしくて彼の好みに適合したからだ。そのあいだ令嬢のメガンはウィイン法学雑誌の「羅馬《ローマ》私法における売買契約の責任範囲とその近代法理思想に及ぼせる必然的投影の価値・並びに以上の歴史的考察」の論文を大ジャズバンド演奏中のTEAルウムの椰子《やし》の鉢植えのかげで読みながら、誰かが話しかけるごとに、勿論すぐその運動帽子のように真《ま》ん円《まる》い顔を上げて父のために笑った。しかし小指はウィイン法学雑誌の読《よみ》かけの頁へ挟まれているのを私は見落さなかった。そして相手がもし新しい招待を持ち込んで来たのだったら、彼女は早速胸の開きから小型記憶帳を取り出して日と時間と場処だけを書きつけていた。招待者の名前は決して書かなかった。たとえそれが未知の人であろうとも、彼女は名を訊こうとしないのである。大戦によって社交の習慣もこう変ったのであろうと私は思った。
フランシス・スワン夫人は彼女がホテルの日光浴外廊のアペレテフの上で私と私の妻に告白したとおりに、セルビヤの将軍の娘だった。そこで私はその白鳥《スワン》という姓があんぐれかえたゆに[#「あんぐれかえたゆに」に傍点]系統のものであることを指摘して、夫人に満足な説明を求めたのだった。それに対して彼女は、二つの角砂糖のあいだへ食卓の花挿《はなさ》しから薔薇《ばら》の花びらを一枚採って挟みながら、言いはじめたのである。『ムシュウ・エ・ダム。私はオデッサの大学を出ると直ぐ第三国際の宣伝員として黒海に沿うすべての都会の裏街で売春婦たちと一しょに人参《にんじん》と洗濯|石鹸《しゃぼん》を食べて生活しました。彼女らに彼女らの社会の採用した新しい政治様式の哲理を根本的に知らせるためだったのです。が、間もなく私はその無駄なことに気がついたのでした。なぜって、彼女らはみんなコルセットに手製のポケットを縫いつけて、そこへ醜業で獲《え》た三|留《ルーブル》七十|哥《カペイカ》と一緒に、兵隊達が旧家の客間から盗み出した聖像を押し込んでいるんですもの。経済と宗教を同居させるなんて、前者にとって何という冒涜でしょう! おまけに彼女らは、得態《えたい》の知れない蛮語しか話さない頸の黄色い一羽の鸚鵡《おうむ》を貰うためには、最上等の無煙炭みたいに紫いろの熱気を吐くコンゴウ生れの火夫とでもその船の碇泊中同棲することを辞しないのです。そのうえ、毎朝早く市場へ人参と夜来の露と黒土のにおいを運んでくる近郊の農夫達へ、彼女らは窓から新聞に火をつけて振るのです。夜明けの闇黒《あんこく》は一そう暗いものですから、こうする必要があるのですけれど、彼女らは「赤い警鐘」紙も「労働と自由」新聞も火をつけて窓から振るために存在するのだと思ってるのです。そうするとそれを見ておいて、市場の帰りに百姓たちが彼女らの部屋を訪問します。そして彼らの馬鹿力の愛撫によって彼女たちの午後いっぱいの眠りがはじまるのです。歴史的にブルジョアのものと定義されている怠惰・信心・不潔と安逸への強い執着以外、そこには何もないのです。この女達は無産者のなかでの貴婦人であると私は結論しました。同時に私は、黒海地方特産の美容用れもん[#「れもん」に傍点]をしこたま鞄へ詰めて巴里《パリー》へ出ました。』
ここでフランシス・スワン夫人は玩具《おもち
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