竅sテエト・ドュ・シアン》からいが[#「いが」に傍点]栗の頭を下にして落ちたところで、すぐ立ち上って懐中爪磨き道具でマニキュアをはじめるだろう。女は両手を腰に akimbo したまま、隣りの六番のルウレット台のまわりをひやかして歩いていた。V字形の割れた背中は、お尻のすぐ上まで法王祈祷台の素材のカララ大理石だった。そこに切紙細工の黒|蝙蝠《こうもり》が一匹うれしそうに貼りついていた。蝙蝠はどこへでも彼女の行くところへ尾《つ》いて往った。
さて、と私は一時にこの現金を数倍もしくは数十倍にもしなければならない目下の事務に返っていた。私はTAXIDOの内隠しから mille の紙幣を二枚抜きながら、それを|賭け札《カウンタア》に換えてくれる「両替《シャンジュ》」の窓口のほうへ泳ぎ出したのだが、私と窓のあいだには、嘘言とあらゆる悪徳の余地のないほどスキイのように瘠《や》せて平べったい中欧山岳地方の女地主と、星条旗とフウヴァの Talkie にだけは必ず脱帽する亜米利加《アメリカ》無政府主義の青年紳士とが挟まっているので、私はしばらく手の千法《ミユ》と遊ばなければならなかった。
ちょうど晩餐時刻だった。人はみんなオテル・ドュ・パリやCIROやアンバサドウルの食堂で皿や給仕人や酒表と戦ってる最中だった。賭博場はわりにすいていた。それでもこの 1928−29 の「高い季節《セゾン》」である。着色ジェリイをこんもり[#「こんもり」に傍点]と型へ嵌《は》めて打ち出して、それへウラルの七宝と、ルイ王朝の栄華と、近古ムウア人の誇示的|輪奐美《りんかんび》とをびざんてん風に模細工《もざいく》した。そして、香気と名流と大飾灯《シャンデリア》と八面壁画とに、帝室アルバアト歌劇場のように天井の高いこの「機会の市場」だ。緑いろの羅紗を張った長方形の卓子《テーブル》のうえでは、丁抹鰻《デンマークうなぎ》のように滑《すべ》っこい皮膚をもった好機《チャンス》の女神――このお方は、しじゅうあの大刈入れ鎌を手にしてる死神のタイピストなんだが、断髪してることを忘れて速記《ステノグ》用の鉛筆を頭へ挿《さ》そうとしてはよく下界へ落とすと言われている。つまりそれほど頼りない女神である――がほほえんだり顔をしかめたりする。するとそのたびに、ナポリの画学生が三日間大富豪になったり、コンスタンチノウプルの旅役者が生れ
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