ゥを饒舌と昂奮と美装とが共通の興味のために集合し、練り歩き、揺れ動いていた。そこにはヴァテカン美術館のそれにも劣らない一面の壁彫刻が微細に凹凸《おうとつ》していた。|垂れ絹《ドレイパリイ》はすべて五月の朝のSAVOY平野の草の色だった。壁画が霞んで、円天井の等身像は聖徒の会合のように空に群れ飛んでいた。いたるところに大笠電灯と休憩椅子があった。大笠電灯は王冠形の水晶と独創とで出来ていた。そして、金の鎖を蔓《つる》に持ったフロリダ黄蘭のように宙乗りをして、そこから静かに得意の夢を謳《うた》いつづけていた。休憩椅子は海老茶《えびちゃ》の天鵞絨《ビロード》の肌をひろげて、傍《そば》へ来る女の腰をしっかり受取ろうと用意していた。ケルンの大伽藍《だいがらん》の内部を祭壇のうえの奥の窓から彩色硝子《ステンド・グラス》をとおして覗くような、この現世離れのした幽艶なきらびやかさが刹那の私から観察の自由を剥奪した。が、私の全身の毛孔《けあな》はたちまち外部へ向って開いて、そのすべてを吸収しはじめたのである。私は駐外武官《ミリタリ・アタシエ》のようにタキシードの胸を張った。
 La Salle Schmit はルウレットの部屋だ。Salle Louzet は「三十《トランテ》&四十《キャラント》」だ。そして 〔La Salle Me'decin〕 は「|鉄の路《シュマン・ドュ・フェル》」の賭博室である。そのいずれにも礼装の人々が充満して、このモンテ・カアロの博奕場《キャジノ》を経営している「海水浴協会《ソシエテ・デ・バン・ドュ・メル》」――何と遠くから持って来た名であろう! が、それも、多くの「魚《フィッシュ》」を游《およ》がせるという意味でなら実に妥当だと言える――の常雇いの|世話係り《ブリガアド・デ・ジュウ》や、自殺と不正を警戒している探偵や、初心者にゲイムを教える手引役《インストラクタア》や、卓子《テーブル》へ人を集める|客引き《ラバテュウル》――この成語はナポレオン当時募兵員が巴里《パリー》の街上に立って通行人に出征を勧誘した故事から来ている――やがて、開会の鈴《ベル》を聞いた代議士のように、急にめいめい自分たちの重大さを意識して人を分けていた。
 それは大停車場のような堅実な広さだった。どこにでも明光が部屋の形なりに凝り固まっていた。自殺を担ぎ込む「墓のサロン」の扉《ドア》が口
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