を結んでいた。すると私の耳にちょっと静寂が襲って来た。そのなかで一つ上釣《うわず》った女の声が走った。
『Rien n'pa plus !』
 女は台取締人《クルピエ》の顔を見て言った。彼女はいまの廻転《タアニング》に負けて無一文になったのだ。この頃は「運が背中」で、今夜でとうとう財産のすべてを失《な》くしてしまった。彼女は早口にそう口説《くど》いて卓子《テーブル》の人の同情を求めているふうだった。
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まるけ・むっしゅう!
まるけ・むっしゅう!
ら・ぼうる・ぱっす!
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 眠そうな顔と声の台取締《クルピエ》が、こう呟《つぶや》きながら片手で円盤を廻して同じ手で「丸薬《ピル》」をはじいた。
『Un cochon――豚!』
 女は卓子《テーブル》を叩いて起《た》ち上った。みんな知らん顔して盤から眼を放さなかった。女は出口へ急いだ。彼女はこれからどうするだろう! きっと今着ているあのおれんじ色のドレスを「木の枝へ懸けて」――質に置いて――帰って来て、その金でもう一度運命を試験するに相違ないと私は思った。この月夜の果樹園のような空気を呑んで陶酔を覚えたものにとって、「緑色の羅紗《らしゃ》」の手ざわりは一生|峻拒《しゅんきょ》出来ない魅惑なのだ。恐らくそのうちに彼女は女性の誇りまで「木に引っかけ」たのち、ルウレット台の一つで勇壮に自殺することであろう。今のように「豚!」と大声に叫びながら!――しかし、そのためにこのキャジノでは、自殺者に対するあらゆる人員と設備を調えて待っているのではないか。Tra−la−la !
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まるけ・むっしゅう!
まるけ・むっしゅう!
ら・ぼうる・ぱっす!
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 退屈で、そして冷やかな台取締《クルピエ》の声だ。
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Quatorze rouge, pair et manque
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『十四! 十四! 赤、偶数、小!』
『三十一! 三十一! 黒、奇数、大!』
 あちこちにこの|呼び声《アナウンス》が転がっていた。そのたびに台取締《クルピエ》の棒の先で負けた賭札《ブウルポア》が掻《か》き集められ、勝った|賭け《ステイキ》へはそれぞれの割合いで現金代りの札が配られた。どの卓子《テーブル》も廻円盤《ルウレット》はたいがい最低十|法《フ
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