T点]を上り出したのだ。がっでいむ!
はろう! せいの高い船だ。昇っても昇っても上へ届かないから、僕は、出張船商人《シップ・チャンドラア》としての僕の到来を宣言して、now, 潮風にひとつ唄った。誰か聞きつけて出て来るだろう。
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Carrrry mee
Cheerfulliee
Over de sea !
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『|誰だ地獄《フウダ・ヘル》――!』
果たしてらんかん[#「らんかん」に傍点]から植民地英語の声が覗いた。
『船上出張商人《ヴェンデドル・デアポルド》!』
『EH? WHAT?』
『支那公《チンキイ》Long Woo。』
『Well, 俺は呪われた。その支那的《チンキイ》ロン・ウウがまた何の用で上船しようてんだ。HEY?』
『船商人《シップチャン》――旦那《サア》?』
『いよいよ俺は呪われた。何を持って来た一体?』
『AYE! いろんな物、sir,色んなもの。あなたを悦《よろこ》ばすべきたくさんの品。私はたしかにあなたを、たった六|片《ペンス》で冷たく打ち倒すことも可能でしょう。ただちょっと実物さえ御覧になれば――。』
『|よし《ライ》。上って来て、見せろ。』
だから、じゃこっぷの中途から救われて、僕と鞄がガルシア・モレノに甲板《アポウルド》した。
仮死したような大煙突が夜露の汗をかいて、その下で、|船のお医者《シップス・ダクタア》――と言うのはつまり料理番《クック》だ――が、愛玩《ペット》のポケット猿に星を見物させていた。洋隠猿《パケツ・マンキー》はアマゾン流域に特産する小さな小さな猿だ。手に握ると全身すっかり隠れて苦しいもんだから騒ぐし、胸のぽけっとへ入れてやると顔だけ出してあちこち眺めてる。夜は、君の脱いだ靴の奥へ潜り込んでぐっすり眠るだろう。そのぽけっと猿が、肥った料理人《ダクタア》の手の平から星へ向って小粒な皓歯《こうし》を剥《む》いていた。ほかに、僕を「|一体誰だ《フウダ・ヘル》」した無電技師は、士官《オフィサ》らしく船尾を往ったり来たりしていた。こつ・こつ・こつ。Again, こつ・こつ・こつ。鉄板の跫音《あしおと》と自分の重大さに彼は酔っていたのだ。しっぷ・ちゃあん! と喜んだ料理番の大声で、下級員口《ギャングウェイ》が四、五人の水夫や火夫を吐き出した。このXマス近い海の夜中に、上半身裸の彼らが、赤白く光って浮かんだ。やっぱりみんな錨《いかり》を下ろすが早いか女のところへ上陸したに相違ない。ガルシア・モレノ号は僕の前にたったこれだけの人数《にんず》だった。が、勿論このポケット猿の連中が、総がかりで星を白眼《にら》み、暴風雨のなかで左舷《ポウト》・右舷《スタボウド》と叫び交し、釜を焚《た》き、機関を廻して来たのではないと、who could tell? 地球の色んな隅々《コーナアス》から旧大陸の端のはし「ほるつがる・りすぼん港」へこうして次ぎつぎに触《タッチ》していく貨物船の大商隊――ここには、あらゆる華やかさと恥と不可解がごく自然に存在し、事実、それらの堆積が鬱然《うつぜん》し醗酵してLISBOAを作ってるのだ。という証拠には、この「しっぷ・あほうい!」の物語も、前言のごとく僕じしんの経験《アンダゴウ》したその一つに過ぎない。Eh? What?
3
そもそもの葡萄牙《ポルトガル》入りから出直そう――。
水は、一度低いところへ下りたが最後、どうしても上へあがらないものと決定的に思われていた。羅馬《ローマ》人がそう考えていたというのだ。だから彼らは、不必要にも山から山へべらぼうに巨大な水道の橋を築いて渡したもので、この、可愛らしい人智幼年時代のあとが、連々たる大石柱の遺蹟として車窓に天を摩《ま》している。すると葡萄牙《ポルトガル》だ。何という真正直なろうま人の努力!――なんかと感心してる僕の視線を、ほるとがる荒野の石塀とコルクの樹とゆうかり[#「ゆうかり」に傍点]と橄欖《かんらん》と禿山と羊飼いとその羊のむれが、瞬間に捉えて離した。石塀は崩れかけたまま重畳《ちょうじょう》する丘の地肌を縫い、コルクの木は近代工業の一部に参与している重大さを意識して黒く気取り、ゆうかり樹は肺病を脅退《スケア・アウェイ》するためにお化けのように葉と枝を垂らし、かんらん[#「かんらん」に傍点]は葡萄牙《ポルトガル》国民唯一の食品オリヴ油を産すべく白く威張って並び、禿山は全国を占領し、羊飼いは定住の家を持たずに年中草と羊と好天候を追って国境から国境の野原をうろうろ[#「うろうろ」に傍点]してるもんだから、よく殺されて有金《ありがね》と三角帽と毛皮付きいんばねす[#「いんばねす」に傍点]を奪われ、その殺したやつがまた直ぐに三角帽をかぶりいんばねす[#「いんばねす」に傍点]を着て、草と好天気と羊を追ってぶらぶら[#「ぶらぶら」に傍点]してるうちにやっぱり誰かに殺され、こんどの第三人目は、やっと三角帽を戴き毛皮つきいんばねす[#「いんばねす」に傍点]に手を通そうとしているところで、第四人目に楽しく殺害されて往き、この第四人目は――どうも限《き》りがないが、つまり、その度に飼主が変るんだけれど、羊のむれは羊の群らしくそんなことに関係なく、しじゅう汽車に驚いて集《かた》まってみたり、池に直面して凝議《ぎょうぎ》したりなんかばっかりしてる。
SAY! 古く粗雑に幸福な影絵の国ほるつがる。
お前は「欧羅巴《ヨーロッパ》のKOREA」だ。絢爛の色褪《いろあ》せた絵画織物《テベストリー》だ。Poogh !
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|大地のおわるところ《オンデ・テルミナ・ア・テアラ》
|大海の始まるところ《オンデ・ア・コミエンサ・ウ・マアル》
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――若いころ香水の朝風呂へ這入って金の櫛《くし》で奴隷に髪を梳《す》かせた史上の美女が、いま皺《しわ》くちゃの渋紙に白髪《しらが》を突っかぶって僕のまえによろめいてる。Why should I not take my hat off to thee?
そうしたら「|大地の終るところ《オンデ・テルミナ・ア・テアラ》|大海の始まるところ《オンデ・ア・コミエンサ・ウ・マアル》」にこの海港リスボンだった。
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|今日は《ボタアル》!
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その古趣と不潔と野蛮と俗臭の小首府、神様と文明に忘れられたLISBOAが、こうおりぶ[#「おりぶ」に傍点]油くさい嗄《か》れ声を発して僕の入市に挨拶した。
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|こんちは《ボタアル》!
|こんちは《ボタアル》!
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何と感謝すべきこの放浪性! その瞬間から僕はりすぼんとリスボンの古趣・不潔・無智・野蛮・神秘・俗悪のすべてを呼吸して、雑音と狭い|曲りくねった街路《ワインディング・ストリイツ》の迷宮へ深くふかく分け入った。そして当分出て来なかった。だから君、さっきから何度も保証したとおり、これはみんな、そのあいだにおける僕――ジョウジ・タニイ――のまんだりん[#「まんだりん」に傍点]仮装舞踏曲であることが一層うなずけよう。BAH!
年老いた両棲動物がリスボンだ。かれは海と陸に跨《また》がって、いつも口いっぱいオゾンを呑吐《どんと》している。その土と水の境界に、石で畳んだ波止場《カイス》があった。「|太陽の岸《コスタ・デ・ソル》」と呼ばれる海岸線ゆき郊外電車発着所《カイス・デ・ソウドレ》の近くに、入江を抱くように手を拡げてる広場の一方が、ゆるい石段になってひたひた[#「ひたひた」に傍点]と水に接していた。昼は、空と港が一つに煙って、へんに甘酸《あまず》っぱい大気のなかを黄塗りの電車がことこと[#「ことこと」に傍点]揺れて通った。その警鈴は三分の一ほど東洋的に儚《はかな》かった。濡れた赭土《あかつち》の盛られたそばで、下水工事の人夫達が路傍に炭をおこして鰯《いわし》を焼いていた。そのまま塩を振りかけてお弁当に食べるのだ。赤や青の原色の洋袴《スカート》をはいた跣足《はだし》の女たちが、何人も何人も、頭へぶりき[#「ぶりき」に傍点]張りの戸板を載せて続いていた。魚売りだ。元帥のような八字|髭《ひげ》を生やした女が多い。見つけた工夫達は黙っていなかった。
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OHOY!
|苦痛のまりあ《マリア・ドス・ドウレス》!
その髯を俺にくんろ!
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ひげの女らは、思いきり淫猥な言葉で応酬しながら、男たちの爆笑をうしろにお尻で調子を取っていく。その声が、片側の郵便局の前から、お爺さんの笑顔を振り向かせた。この老人は、その妻の、跛足で唖の女と、吹出物だらけの男の子と、ぼろぼろの一個の手提げとを全財産に終日|陽《ひ》あしを探してそこらを移り歩いては、しゃがんでるのだ。僕は、彼らと並んで何日も日向ぼっこをしたから、この一家族の生活はよく知ってる。老家長は代書人だった。きたない手さげのなかに、汚い紙と封筒と、きたないぺんとインクが驚くべき整頓さをもって這入っていた。書留用の封蝋や押印も揃っていた。AHA! 綺麗な花文字入りの封印まで! 蝋を垂らして印をするのが金一エスクウドだった。たまに客があると、非常な自尊と不愛想《ぶあいそ》とに口びるを曲げた老人が、ふるえる手でその大変な事業に着手した。何一つするにも恐ろしく時間がかかった。で、ときどき八字髭の女や、霜降りの木綿軍服を着た兵隊が田舎の恋人に手紙を書いてもらうくらいのもので、たいがい老爺《おやじ》と妻と息子と手提げが、四つぽかんとして通行人の膝から下を眺めてることが多かった。子供は痴呆らしかった。なぜなら、猫を発見すると正確に石を投げる習慣だった。そして、十か十一のくせに、しじゅう地べたに寝ころんで母親の乳房とばかり遊んでた。この一家を引率して、老人は一日じゅう陽の当るところを転々していた。が、稼業だけは忘れなかった。だから彼らは、海底のような夕方の建物の影が落ちて来ても、郵便局からはあんまり遠くへ離れようとしなかった。お昼御飯にはやはり七輪の炭火に直《じ》かに鰯と塩を抛り出して、焼きながら頬張っていた。その黄白い魚臭が冬晴れの日光に波紋して、修築中の郵便局の屋根へ、鎖で縛った瓦《かわら》の束がするすると捲き上って行った。
向う岸はカシイアスの要塞だ。正午《ひる》はそこにも鰯を焼く煙りがあった。蒼ぞらでは、ほるつがる国陸軍爆撃機の生意気な二列縦隊だった。その真下の沖に、鋼鉄色に化粧した木造巡洋艦が欠伸《あくび》していた。これは領海に出没する隣国すぺいんの海老《えび》採り漁船を追っ払うための勇敢な海軍である。洗濯物が全艦を飾って、ここにも鰯をやくけむりが大演習の煙幕のようにMOMOと罩《こ》めわたっていた。
4
こういうりすぼんの波止場だ。
この、表面白っぽく間の抜けた底に、どこか田舎者めいた強情な狡猾さがぷうん[#「ぷうん」に傍点]と香《にお》って、決してこれだけが全部でないことを暗示《ヒント》していた。果して夜! You know, 闇黒は桟橋を物語化し、そして夜の波止場は紳士を排斥する。昼間の Seemingly に平和な自己満足のかわりに、そこには一変して酒精分の暴動《ライオト》だ。平《たいら》な地面に慣れない水夫達の上陸行列だ。海の口笛と、白い女の顔だ。しなり[#「しなり」に傍点]のいいマニラ帆綱《ロウプ》のさきに、鉄鋲《ナッツ》を結びつけた喧嘩用武器の|大見せ場《デスプレイ》だ。放尿する売春婦《プウタ》と暗い街灯の眼くばせだ。船員の罵声と空地の機械屑だ。飛行する酒壜と、人に肩をぶつけて歩く海の男たちの潮流。問題《トラブル》を求めて血走ってる彼らの眼。倉庫うらに並立する四十女の口紅。いつからともなく棄てられたまま根が生えてる赤|汽缶《ボイラ》のかげに、銀エスクウド二枚で即座に土に外套を敷く人妻。草に隠れてその張り番をする良人《おっと》。SO! あらゆる無恥と邪悪《ヴァイス》と騒擾《そうじょう》
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