_の家へ。
あとが大変なんだ。Eh,What?
6
「マルガリイダ」の家の red hot stuff がテレサという仏蘭西《フランス》女であることは前にも言った。テレサは、北極熊みたいな白い大きな身体《からだ》と、いつもいま水から上ったばかりのような、濡れた感じの顔とをもっていた。その、安ホテルの二人用寝台《ダブル・ベッド》のように大々的に広漠としたところが荒っぽい船員達の好みに投じたとみえて、ばいろ・あるとのマルガリイダの家は、いつ行っても、まるであの聖《サン》ジュアン街の酒場のように、そこには、7seas からの男たちと、その留索栓《ビレイング・ピン》の打撲傷と、舵手甲板の長年月と、難航の名残りと遠い国々のにおいと、怒声と罵声と笑声とがたのしく満潮していた。バイロ・アルトは、りすぼんの街が羅馬《ローマ》の真似をして七つの丘――いまは八つにふえてるが――の上に建ってるその一つで、ちょうどテイジョ河口の三角浪が大西洋の水と争う港のうずまきを眼下に見下ろしていた。夜など、しつぷ・ちゃんの僕がすこし沖へ漕ぎ出ると、この|山の手《バイロ・アルト》――「山の手」と当て字してみたところで、いわゆる山の手のもつ閑寂な住宅地気分とは極端に縁が遠いが――にちかちか[#「ちかちか」に傍点]する devil−may−care の紅灯と、河港をへだてて、むこう側の山腹、慈悲《ピエダアレ》の村に明滅する静かな、家庭的な漁村の灯とが、高台同士で中空に一直線にむすびついて、へんに泪《なみだ》ぐましい人生的対照をつくり出していた。こんなふうに、桟橋広場の一ぽうが胸を突く急坂になって、そこを昇り詰めた一帯がバイロ・アルトの私娼区域――と言っても、定期的に非公式の健康診断があるんだから、政府の黙許を得てる半公娼と称すべきかも知れないけれど、それがひどく不徹底なものだったし、その半公娼に伍して倍数以上の私娼が混入してごっちゃ[#「ごっちゃ」に傍点]になっていたので、やはり大きな意味では、そこら全体を私娼窟と呼んでよかった。じっさい一くちにばいろあると[#「ばいろあると」に傍点]といえば、それは直ちに「坂の上の娼家横町」を語意していた――そして、そこの白っ茶けた建物の窓から、朝夕の出船入船の景色が、まるで大型活字の書物の一頁を読むように詳細に一眼だった。つまり、リスボンの出入港は、海事局・水上警察・税関よりも先に、逐一この|女魔が丘《バイロ・アルト》の窓に知れてしまった。地獄《ダン・ビロ》の釜に火がはいると煙突のけむりが太くなって、出帆旗は女たちも心得てる。すると、あのNAJIMIの男がまた|闇黒の海《マアル・テネブロウゾ》へ出てくるところだというんで、ばいろ・あるとの一つの窓で、ひとりの女《プウタ》が、ひょっ[#「ひょっ」に傍点]と浮んだ彼の体臭の追憶のなかで思い出し笑いにふけっていようというものだ。船乗りはみんな恋巧者である。一度会った女に決して忘れさせはしない。だから、黒地に白の出港旗を見つめる女たちの眼には、めいめいの恋人を送るこころもちがあった。が、出帆の時は、これでまだいい。新入港の船がテイジョ河口の三角浪を蹴立《けた》てて滑りこんで、|山の手《バイロ・アルト》の家々の窓掛けを爽やかな異国の風がなぶると、週期的活気・海と陸との呼応・みなとのざわめき[#「ざわめき」に傍点]が坂の上の町一帯に充満して、彼女らはゆうべの顔へまた紅をなすり、七面鳥マルガリイダ婆さんは一そうがんがん[#「がんがん」に傍点]喚《わめ》いて家じゅうを駈けめぐり――さあ! お部屋の用意は出来てるかい? 何でもいいから花を取り変えてお置きって言うのに! お船の人は家庭らしい空気が好きなものだから。それから掃除! リンピイ! おや! リンプ! どうしたんだろうまああの人は――しかし、テレサにだけは急に眼立って御機嫌を取り出して――テレサや、今夜も強い好い人がわざわざ海を越えてお前んとこへ来るんだよ。テレサや、お前は一たい、帆桁《ほげた》のような水夫さんか、手の白いボウイさんか、それとも黒輝石みたいな印度《インド》の|釜たき《ファイアマン》さん? どんなのが一番好きでしたっけ? わたしの可愛いお猫さんのように、さ、お湯をつかって支度をしましょう――といった調子なので、テレサはテレサですっかり[#「すっかり」に傍点]ふくれ返って、その巨大な北極熊みたいな全身へ万遍なくおしろいを叩きはじめる。この裸体のお化粧は、何もテレサひとりの個人的趣味ばかりではなく、「マルガリイダの家の」一 attraction として大いに事務的必要があったのだ。
テレサは、僕の知る限りにおいてすこし「|二階がお留守《ノウバディ・アップステアス》」――頭がからっぽ[#「からっぽ」に傍点]――だった。
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