スといううら[#「うら」に傍点]悲しい明け方の夢の展覧会! 蜂《はち》のような腰の馬上貴婦人と頬ひげの馬上紳士。乳を出して笑ってるボンネット。大帆前船《バアカンテン》難航の図。花の代りに美人の顔が咲いてる絵――これは仏蘭西《フランス》しゃぼんの広告――寝台の脚とそばに脱いである男女二足の靴だけを大きく出した写真――靴屋の広告――「OH!」と題したのは、女が向い風に裾《すそ》を押さえて困却してるところ。豚とダンスしてる坊さん。錨《いかり》をあしらった老船長の像。万国国旗一覧表。隣りはあめりか煙草 111 の広告画。
郵便棚も置いてある。この酒場へ頼んで、ここを郵便の宛所《アドレス》にしてる各国の船乗りが大分あるとみえる。寄港のたびに立ちよって受け取る仕組なんだろう。手紙や葉書がたくさん挟んである。混雑に紛れて、僕は郵便棚へ近づいて二、三枚手に取ってみた。古いのばかりだ。手垢《てあか》とごみで薄黒くよごれてる。が、これは一たいどうしたというのだ?――酒場の常連はきまってるはずだ。酒番の主人に顔の知れた船員ばかりで、あす出港という晩なんか、「おい、これからちょっと地中海まわりだ。今度はひと月ぐらいだろう。手紙が来たら頼むぜ。」「承知しました。気をつけて行って来なさい。よそであんまり変な酒《やつ》を呑《や》らねえようにね。」なんかと別れて、そして帰港するや否や、不恰好な既制服に、新しい安靴で久しぶりの固い土に足を痛めた彼らが、若いのも年寄りも、みんなどんなに期待に燃えてこの酒場《タベルナ》の郵便棚のまえに犇《ひしめ》くことであろう! すると、来てる来てる! 恋人から妻から娘から老母から! 眼白押《めじろお》しに立って、一枚々々熱心に自分への宛名を探す海獣たち――僕もこうしていまその一人を装《よそお》ってるんだが――この時は、彼らも完全に良人《おっと》であり、父であり、息子であるだろう! それだのに、みんなに捜し残されて、ここにこれだけ溜ってるのはどういうわけだ? これらの宛名の主は、船出したきり帰って来ないのか? 何と、船乗りへ届かない手紙の不気味さ! |暗い海底《マアル・テネブロウゾ》へは転送のしようもあるまい。
が、港の酒場はすべての不可能を信じてる。じっさい、七年前に笑って地中海へ出て行ったきりのあの男、一八九三年のXマスの晩に最後に見た彼――それらがひょっこり[
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