ノ歩き出した。僕はついてく。桟橋の話声・深夜の男女の雑沓・眠ってる倉庫の列・水溜りの星・悪臭・嬌笑。Eh? What?
5
窒息しそうな濃いけむりのなかに、海の陽《ひ》やけで茶褐に着色された無数の顔が、呶鳴《どな》って笑って呪語していた。鋼鉄の指金具《ナックル》とあき[#「あき」に傍点]壜は星形の傷痕をのこす。頬へ受けた刃《ナイフ》は、古くなると苦笑に見えるものだ。マラガ生れの水夫長《ボウシン》、パナマ運河コロン市から来た半黒《はんぐろ》の三等火夫、濠州ワラルウの石炭夫《コウル・バサア》、ジブロウタの倉番《ストッキ》、聖《サン》ジャゴの料理人、ロッテルダムの給仕、各国人種から成る海の無産者と、大きな喧嘩師《ブルウザア》と敏捷な|ちび《ラント》と、留索栓《ビレイング・ピン》の打撲傷と舵手甲板の長年月と、そしてそれに、荒天の名残の遠い港のにおい[#「におい」に傍点]、強い顎《あご》と蕈《きのこ》のような耳、桐油《とうゆ》外套に赤縞のはんけち――海岸通りサン・ジュアン街の酒場《アベニダ》は、深夜の上陸船員で一ぱいだった。
そこへ、リンピイと僕が半|扉《ドア》を押したのだ。
すると一度にこの異国語の tenor crescendo だ。どこの貨物船の乗組員にも特有な、ストックホルム産|炭油《タアル》の香《におい》だ。それが S57 の感情的な水平線と、snappy な岬《ケイプ》ホウンの雲行きを思わせて、この狭い酒場《タベルナ》内部の色のついた空気を滅茶苦茶に掻き乱していた。
呵々大笑するふとった酒神《バッカス》、習慣的に一刻も早く給料袋をから[#「から」に傍点]にしなければ安心出来ない船員たちのむれ!
正面にずらり[#「ずらり」に傍点]と瓦斯《ガス》タンクのような大樽《バリイル》が並んでる。その金具の輪が暗い電灯に光って、工場地帯行きの朝電車みたいな混み方だ。数人の酒場男《タベルネイロ》と酒場女《タベルネイラ》が、この、戦時そのままの騒ぎを引き受けて、酒をつぐ・グラスを抛《なげ》る・金をひったくる・お釣りを投げる・冗談を言い返す・悪口もかえす・喧嘩の相手もする・自分も呑む。酒はきまってる。|燃える水《アグワルデンテ》。言わば、ほるつがる焼酎。一ばい金2|仙《セント》――どいす・とすとんえす――也。
壁は、十九世紀末葉の雑誌の口絵で張り詰めてある。
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