《タアル》塗りの木塀がめぐらしてあって、そのところどころに、半狂乱の牛の角のあとらしいこわれ[#「こわれ」に傍点]が見えている。それはいいが、この観覧席がまた妙なふうに区別されていて、まえにも言ったとおり、闘牛は炎天下に行われるんだから、その当日、何月何日の何時ごろには、どの辺に陽が射してどこらが蔭になるということはちゃん[#「ちゃん」に傍点]と前もって判っている。そこで、それによって座席が二大別されて、日蔭を Sombra と言って上等席だ。このほうはたいがい二十から二十五ペセタ――一ペセタは邦貨約三十銭強――陽の照る側の sol は、入場料十ペセタぐらいでまず二、三等にあたる。
 こんなふうに日向《ソル》よりも日蔭《ソンブラ》の席がずっと高価《たか》い。そうだろう、陽かげは涼しいにきまってるから――なんかと思うと大変な間違いで、ではどうして日蔭が高級席かというと、これにはまた大いに西班牙《スペイン》的な理由がある。それは、突かれ刺されて半死半生になった牛は、苦しいもんだから例外なしに陽影へ日かげへと這入って来て、死ぬ時はいつも日蔭席の真下ときまっている。だから闘牛の後半――最も白熱的な部分は日蔭の側で演じられるわけで、従って、ここに居《お》れば一番よく見え、その残酷な快感を詳細に満喫出来るというんで、ほんとの闘牛ゴウアウスの連中は、借金しても争って、倍も高い陽かげの一等《ソンブラ》へ納まるのだ。が、倍でも三倍でも、SOLにしろSOMBRAにしろ、きょうのような年一度の特大闘牛になると、何でもいいから切符が手に入っただけで幸運に感謝しなければなるまい。私もこの切符のため数日来東奔西走したが、かなり前から発売してるにかかわらず、疾《と》うの昔に売り切れちまって、市内の切符売場《レイベンタ》を廻ってみると、二十五ペセタの日蔭券《ソンブラ》が一枚二百ペセタ――六十円――あまりに暴騰している。べらぼう[#「べらぼう」に傍点]な話だが、こうなるとまるで入札みたいなもので、それさえ見てるうちに値上げされて行って、なかなか手に落ちそうもない。これは、はじめ仲買人《レベンタ》が切符を買い占めて人気を煽《あお》り、いま小出しにしてるのだというような評判もあったが、何しろちょっと近寄れそうもない鼻息で、私なんか途方に暮れたかたちだった――するとここへ、かの下宿のペトラの恋人、名優ドン・モラガスが、このあらたか[#「あらたか」に傍点]な切符をかざしてドン・ホルヘを救いにあらわれたのである。
 こういうわけだ。
 窓通いの現場を発見されたのが面映《おもは》ゆかったのか、それとも、今後恋路の妨げをしないようにお世辞を使っとく必要ありとでも認めたものか、あの、私が夜中に窓をあけた翌日、ドン・モラガスが接近して来て言うには、彼の友達にベルモント――これは当代随一の闘牛家で全|西班牙《スペイン》の国家的英雄――の弟子の弟子の又弟子か何かがあって、そいつを煽《おだ》ててうまく入場券を寄附させたから、どうだドン・ホルヘ、一つ日曜日の大闘牛へ行ってみないか、というのである。
 私がモラガスの胃を叩いて、牛血を浴びた闘牛士のように勇躍したことは言うまでもあるまい。

     4

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てらら・らん・らん!
てらら・らん・らん!
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 闘牛開始だ。
 軍楽隊は一度に闘牛楽《パサ・ドブレ》の調子を高め、旗はいっせいにひらひら[#「ひらひら」に傍点]し、人は歓呼の声を上げて――この闘牛士入場式の光景!
 はじめは徒歩、それから騎馬の十七、八人の闘牛士だ。見てるうちに私は何となく可笑《おか》しくなった。
 横に長い黒の帽子。
 中世紀の小姓みたいな総金もうる[#「もうる」に傍点]の短衣《チョッキ》。
 赤・青・黄に同じくモウル付き半ずぼん。
 揃いの赤ネクタイ・白靴下。
 肩や腰に紅布《ミウレタ》をかけてるのもある。
 それが威儀を整えて練り込んで来るのだ。
 絢爛《けんらん》。堂々。颯々《さっさつ》。
 が、何という莫迦々々《ばかばか》しい大仰さ。
 ナヴァロのような青年。
 彫刻的な浅黒い相貌。
 金ぴかの全身にダンスする光線。
 贔屓《ひいき》の闘牛士の名を呼ぶ観客の声。
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てらら・らん・らん!
てらら・らん・らん!
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 ――ここにちょっと妙なのは、この闘牛士連がみんなちょん[#「ちょん」に傍点]髷を結ってることだ。
 しかも、その蜻蛉《とんぼ》のようなまげ[#「まげ」に傍点]の撥先《はねさき》を帽子のうしろから覗かせている。
 Coleta という。
 ちょん髷の西洋人なんて初めて見たが、何となく不気味な感じだ。ちょうど日本のお相撲さんみたいなもので、この、闘牛士に特有の豚尾式結髪《ピッグ・テイル》――COLETA――は、西班牙《スペイン》では甚だ粋《すい》な伊達《だて》風ということになっている。闘牛士を追っかける|踊り子《タンギスタ》なんか、あの人の髷っぷりが耐《たま》らなく憎らしいとか何とか――まあ、その間いろいろとろまんす[#「ろまんす」に傍点]があるわけだが、じっさい、西班牙《スペイン》における闘牛士の地位は日本の力士に似ていて、みんなそれぞれにパトロンがあり、なかには、名士富豪にくっ[#「くっ」に傍点]付いて廻って酒席に侍したりする幇間《ほうかん》的なのもすくなくない。派出《はで》な稼業だけに交際が大変だ。おまけに大立物《エスパダ》になると、見習弟子だの男衆だのと、いわゆる「大きな部屋」を養っている。そのかわり名誉と収入も莫大なもので、近いためしが、今日の人気闘牛士ベルモント――この人はセヴィラに宏壮な邸宅を構えている。これはあとから私がセヴィラに行って居た時だが、或る日、ホテルの下の往来が急に騒々しいので覗いてみるとちょうどこのベルモントが、散歩か何かの途中街上で、市民に包囲されたところで、男も女も子供もわいわい[#「わいわい」に傍点]後をついて歩いて、手を振る、握手を求める、上の窓から花を抛《なげ》る、まるで紐育《ニューヨーク》人が空のリンディを迎えるような熱狂ぶりだった。西班牙《スペイン》国民の大闘牛士に対する崇拝ぶりはこれでもわかる。英雄ベルモントは探険家のような風俗の、もう半白《はんぱく》に近い軍人的《ミリタリイ》な好紳士だ。一日の出場に七千から一万ペセタ――わが約三千円あまり――を取る、だから今では、大した地所持ち株もちだが、最近本人が勇退の意をほのめかしたところ、たちまち国論が沸騰した。牛で儲けた金だから死ぬまで牛と闘えというのだ。これにはさすがのベルモントも往生してるようだが、このファンの声も、言いかえれば、ベルモントなきのちの闘牛を如何《いかが》せんという引止《ひきとめ》運動に過ぎないんだから、老闘牛士も内心|莞爾《かんじ》としたことだろう。その他、有名な闘牛士にはガリト、マチャキト、リカルド・トレスなんかの猛者《もさ》がいて、すこし古いところではアントニオ・フュエンテがある。この人はアルメリヤの近くに、「領土」とも謂《い》うべき広大な土地と、古城のような屋敷を持っている。それからこれも今は故人のはずだが、ラファエル・グエラはほん[#「ほん」に傍点]の一季節の闘牛に二百二十五頭の牛を斃《たお》して七万六千ジュロス――十五万円余――を獲たことがあるし、現今でも、何のたれそれ[#「たれそれ」に傍点]と名のある闘牛士なら、年収約二万から二万五千円を下らないのが普通だ――税務所の調べみたいになっちまったが、こんなふうに、名が出ると金になる。女には持てる。学問も教養も要らない。要らないどころか、そんなものは無いほうがいい。第一、人中《ひとなか》で牛が殺せる! と言うんで、貧乏人の子供でちょいと腕っぷしの強いやつ[#「やつ」に傍点]は、争って闘牛士を志願する。なかには医学生のぐれ[#「ぐれ」に傍点]たのや、電気技師の勤め口を棒に振って闘牛庭《レドンデル》の砂にまみれてるといった酔狂なのがあったりして、この闘牛士の仲間は、色彩的な西班牙《スペイン》の社会により[#「より」に傍点]強烈な色彩を塗っている絵具だ。マドリッドの太陽広場《プラサ・デ・ソル》から左手へ這入った古い狭い横町に、役者――ドン・モラガスをはじめ――だの、この下っぱ闘牛士なんかのぼへみあん[#「ぼへみあん」に傍点]連中が勝手な生活をしている一廓があって、夜おそくそこらをうろつくと、方々のキャフェで西班牙酒《モンテリア》をあおってる彼らの影絵《シルエット》がもうろう[#「もうろう」に傍点]と揺れ動いている。で、まあ、それほど志望者が多いもんだから、ちゃん[#「ちゃん」に傍点]と闘牛学校まで出来ていて、未来のベルモントを夢みる青少年の群――なかにはアルゼンチンあたりから留学してるのもある――に、初等闘牛史、怒牛心理学概論、闘牛道徳、闘牛作法、扱牛法大綱なんてのを講義したり実修したりしている。
 さあ、ここでいつまでも闘牛士にかまっちゃいられない。入場式が済むと、直ぐに牛が出て来るから――。
 粛々と前進してきた今日の出場闘牛士は、いま正面ボックスの下に整列している。
 ESPADAのベルモントが、一同を代表して司会者――これはたいがい皇后さまか宰相夫人か、とにかく女性にきまってて、この日は赤十字マドリッド支部長としての市長夫人だった――へ、大芝居に騎士的な一礼をしている。
 何と graceful なその史的洗煉!
 扇をとめて、市長夫人がボックスに立った。何か抛《ほう》った。黒い小さな物が赤い尾を引いて、円庭《リング》の砂を打つ。ベルモント門下の高弟|槍馬士《ピカドウル》のひとりが拾う。鍵だ。赤いりぼん[#「りぼん」に傍点]が結んである。牛小屋の鍵だ。
 歓声・灼熱・乱舞する日光。
 やあ! 鍵を押し戴いた闘牛士が、観覧席の一方へ手を上げて、胸を叩いて絶叫し出した。
『OH! わが心臓の主よ! 悦《よろこ》びとそうして望みの君よ! わたしはこれからあなたの光栄のためにこの牛を殺して私の勇気と武芸を立証します――!』
 AH! 何というDONキホウテ式|科白《せりふ》! 呆れた大見得! 中世的な子供らしさ!
 すると、その方角に当って、人のなかから女が起立した。この闘牛士の妻、もしくは情婦、とにかくこれが彼のいわゆる「心臓の主」なのだ。
 夥《おびただ》しい視線の焦点に、ぼうと上気して倒れそうな彼女が、胸のカアネエションに接吻《キス》して、下の闘牛士へぽん[#「ぽん」に傍点]と投げる。
 ふたたび、喝采・動揺・乱舞する日光――羅典《ラテン》的場面の大燃焼だ。
 これを合図に、ベルモントをはじめ重立った闘牛士は、一時|溜《たま》りへ引っ込んで行く。
 あとには、最初出来るだけ牛を怒らせる役―― Veronica ――の若手が五人、素手に、おのおの肩や腰の紅布《ミウレタ》を外して拡げながら、あちこちに陣取って、身構えた。
 広い砂のうえに、ほかに人影はない。

     5

 はじめ噴火みたいな底唸《そこうな》りが聞えて来た――と思うと、いきなりリングの一隅から驀出《ばくしゅつ》した「真黒な小山」!
 何て大きな牛だ!
 闘牛場全体に溢れそうじゃないか。
 あ! こっちへ来る。びっくり[#「びっくり」に傍点]してらあ! この日光に、色彩に、音響に。
 まるで疾駆する「黒い丘」だ。
 鈍重の代名詞が、こんなに早く走れようとは私は今まで思いも寄らなかった。
 すでに彼は、早速手ぢかの紅布《ミウレタ》へ向って渾身的攻撃を開始した。
 きらりと角が陽に光った。闘牛士が身を躱《かわ》した。黄砂が立ち昇った。紅片《べにきれ》がひらめいた。
 牛はいま、さかんにその紅いきれへ挑みかかっている。
 そうだ。そう言えば、まだこの「牛《トウロス》」のことを説明しなかったが、ちょっとここで一つ大急ぎで書いておこう。
 闘牛用の牛はTOROSと言って、牛でさえあれば何でもいいというわけには往かない。だから、昨
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