まで傍杖《そばづえ》を食わして殺すのは非道《ひど》い。こういう議論が起って、最近では、出場の馬へ硬革製の腹当てをさせることにしている。しかし、これも形式的なもので何ら実際に保護の用をなさない。何しろ相手は火のように猛《たけ》り狂ってる野牛だ。馬の逃げ足が一秒でも遅いと、忽《たちま》ち今日のような惨事を惹起することは眼に見えてる。が、この悲惨とか残酷とかいうのも外国人にとってだけで、すぺいん人はここが闘牛の面白いところだと手を叩いて喜んでるから、始末におえない。闘牛《トウロス》のつづくかぎり、馬の犠牲も絶えないだろう。
なぜ地球上にこういう野蛮な存在を許しておくか? これはじつに西班牙《スペイン》一国内の問題ではない。まさに全人類の牛馬に対する道徳上の重大事である。なんかと度々《たびたび》海のむこうから文句が出るんだけれど、どうしても止《よ》さないものだから、海外の識者もみんな呆れて、諦めて、この頃ではもう黙ってる。おかげで西班牙人《スパニヤアド》は誰|憚《はばか》らず牛が殺せるというものだ。
これは、この闘牛《トウロス》を見てから二、三日してからだったが、例のドン・モラガスが私のと
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