向っても直ちに角を逆立ててて突進し、これを粉砕せずんば止まざる底《てい》の充分な野牛だましいを植えつけ、育むのだ。つまり、しじゅう突いたり張ったりしてからか[#「からか」に傍点]って、怒ることを奨励し、そして怒ったが最後、全身を躍らせて大あばれに暴れる、というように仕込むのが闘牛牧畜の要諦である。事実この目的のためにはあらゆる専門的手段が講じられている。それから、闘牛の資格として最も大事なのは角だ。何しろ、怒牛角を閃《ひらめ》かして馬でも人でも突き刺し、撥《は》ね上げて、その落ちて来るのを待って角に懸けて振り廻す――こう言った、馬血人血|淋漓《りんり》たるところが、また闘牛中の大呼物《おおよびもの》――じっさいどんな平凡な闘牛ででも馬の二、三頭やられることは普通だし、悪くすると、リングの砂が闘牛士の生命《いのち》を吸い込む場合もさして珍しくない――のだから、この闘牛《トウロス》の角っぷり、その角度尖鋭に対する関心は大変なものだ。色んな方法で牧者は絶えず牛に、武器としての角の使用法を教え込み、自得させる。かくのごとくすること幾春秋――なんて大仰だが、闘牛《トウロス》は牛齢五歳未満をもって
前へ
次へ
全67ページ中42ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
谷 譲次 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング