んじゃあ騒ぎが大きい。おなじ屠殺するんなら、まあ、人よりゃあ牛のほうが幾らか増しだろう。第一、牛はあんまり文句を言わないし、それに、血がたくさん出る。
という、これが闘牛の哲学だ。したがって物凄い闘牛病患者には、男よりも女――のほうがどうもヒステリカルな残忍性に富んでるとみえて――が多いことは、容易にうなずけよう。
闘牛には季節《テンポラダ》がある。復活祭から十月までの毎日曜日と祭日が正規の闘牛日だ。十月以後にもあることはあるが、それはいわゆる小闘牛《ノヴィラダ》といって、牛は若牛《ノヴィロス》、闘牛士も幕下どころの下級闘牛士《ノヴィレロ》で、本格じゃないからどうも見劣りがする。
つぎに闘牛場だが、その建物は、ちょっと見たところ羅馬《ローマ》の円形闘技場《アンフィセアタア》に似ていて、途徹もなく尨大なものだ。這入ると中央の広場がいわゆる闘牛庭《レドンデル》で、一ぱいに砂利が敷き詰めてある。それを見下ろして、ぐるり[#「ぐるり」に傍点]と高く雛段形の桟敷《さじき》が取り巻いている。この見物席の根、つまり実際の闘牛庭《レドンデル》との境壁には、周囲に、高さ五|呎《フィート》ほどの炭油
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