ゥら南方へレスの黄葡萄酒かなんかがぶ[#「がぶ」に傍点]呑みしている。言うまでもなく|その他多勢《エキストラ》の組であんまりぱっ[#「ぱっ」に傍点]とする役じゃないが、そのなかで、一きわ黄色い大声を発して存在を主張していたひとりの「村の若い衆」があった。それがわがペトラの愛人ドン・モラガスだった。モラガスは水を呑んじゃあ義務のように酔っぱらって、しきりに仲間の肩を叩いて笑っていたが、そうこうするうちにほんとの芝居がはじまったと思ったら、一同こそこそ[#「こそこそ」に傍点]追い出されちまった。あんな金切声《かなきりごえ》を連発するやつ[#「やつ」に傍点]が居ちゃあ肝腎の会話の邪魔になるからだろう。それからあとで、宮殿の番兵になってちょっとおじぎをしたきり、その夜のモラガスの出演はこの二つだけだった。
 こういういすぱにあ俳優ドン・モラガスである。が、舞台外では、かれは主馬頭《モンテイロ》横町の甘味《スウイティ》を相手に実演「|夜の窓《ベンタアナ・デ・ノッチニ》」の主役をつとめていた。
 主馬頭《モンテイロ》の旧屋敷へ馬の脚が通ってくるなんて、私もこの恐ろしい偶一致《コインシデンス》にはひそかに戦《おのの》いていたんだが、通うと言えば、一たい西班牙《スペイン》ほど結婚の絶対性を大事にしている近代国家はあるまい――どうも色んな方面へ話題がさまようようだけれど、これがみんな今に一頭の牛に対して必然的関係を生じてくるんだから、ま、もすこし聞いてもらうとして――西班牙《スペイン》では、結婚は、地に咲いた神意の花だとあって、早いはなしが、姦淫者を見つけて斬りつけても、殺さない限り必ず無罪だし、たとえすこしくらい殺したところで、むしろ「名誉の軽罰」でごく簡単に済む。それほど合法の結婚を保護するに厚い。言うまでもなくこれは、加徒力《カトリック》教の教義が極端にあらわれているんだが、それの結婚の尊重が度を過ごして、決して離婚ということを許さない掟《おきて》になってるので、間違って咲いた神の花はどうにも萎《しぼ》みようなくて往生する。つまり一度結婚したが最後[#「最後」に傍点]――ほんとにこれが最後――こんりんざい離婚は出来ない。どだい離婚という言語はすぺいん[#「すぺいん」に傍点]の辞書にはないというんだから、いざ結婚というまえに女は非常に要心する。これは何も女に限った理窟ではなく、「
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