の或る者は、鬢《びん》に霜を置いても帰ろうとしない。この種の「|漂泊の猶大人《ワンダリング・ジュウ》」の多くを、人は今ふらんす国セエヌ河畔の峡谷に見るであろう。
 セエヌの谷――「巴里《パリー》」。
 こうして、何だか自分でもはっきり[#「はっきり」に傍点]しないものを翹望《ぎょうぼう》して旅をつづけて来た流人達は、一度セエヌの谷へ這入るや、呪縛されたようにもうそこからは動こうとしない。巴里《パリー》は魅精を有《も》つからだ。ここに言うノウトルダムの妖怪がそれである。木乃伊《みいら》取りが木乃伊《みいら》になるように、この妖怪に取り憑《つ》かれた彼らは、いつの間にかその妖怪の一つに化し去ってしまうのだ。
 こころみに暗い螺旋段をノウトルダムの塔上へ出てみたまえ。
 そこの、栄誉あるGOTHICの線と影のあいだに、或いは、長い曲った鼻を市街の上空へ突き出し、または天へ向って鋭い叫びを投げあげ、もしくは訳ありげに苦笑し、哄笑し、頬杖をついている不可思議な石像の群――巨鳥の化けたようなのもあれば、不具の野獣に似たの、さては生き物を口へ押し込んでる半身魔《グリフィン》、眼を見張って下界を凝視し
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