エヌの小舟島イル・デ・ラ・シテだけに過ぎなかったことも、だから今でも巴里の市章は、この市の起原を象《かた》どった船の模様であることも、イル・デ・ラ・シテはよく巴里の眼と呼ばれ、ノウトル・ダムは屡々《しばしば》その瞳と形容されることも、いつの世に誰が建立したのか未だにはっきり[#「はっきり」に傍点]、判らないこのノウトルダムに関して、ヴィクタア・ユウゴウは紀元七百年代にシャレマアニュがその第一石を置いたんだと説いてることも、この、ルイとボナパルトと敵と味方の泪《なみだ》を吸って黒いゴセックの堆積が、いかに多くの荘厳と華麗と革命と群集の興亡的場面を目撃して来たのであろうことも、傴僂のカシモドが身を挺してエスメラルダを助けたことも、一八〇四年、ナポレオン一世がここで戴冠式を挙げて、参列者の一人ダルバンテ公爵夫人が「眼に見るように」手記してるとおり、せっかち[#「せっかち」に傍点]なナポレオンは、まず一つの冠を非常に静かに――痛くないように注意して、軽くジョセフィンの頭へ戴《の》せたのち、自分のは実にがさつ[#「がさつ」に傍点]に引っ奪《たく》るが早いかぐっ[#「ぐっ」に傍点]とかぶって並居《
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