黶Aと言ったくらいの外交的言辞に過ぎないのだ。これでむっつり[#「むっつり」に傍点]黙り込んでいると、何でえ、支那《シノア》か、ということになって、鑑別の目的は完全に達せられる。じっさい頭から「お前は日本人だろう?」では放浪紳士に対して露骨《ルウド》に失するから、そこでこの挨拶のような挨拶でないような、ばかに親密な質疑の形式がいつの世からか発見されたもので、これは私たち世界無宿のにっぽん[#「にっぽん」に傍点]人間における一つの「仁義」である。つまり「港のわたり[#「わたり」に傍点]」なんだが、そんなことをしなくても日本人同士は一眼で判りそうなもんだと思う人があるかも知れないけれど、どうしてどうして一歩日本国を出てみると、早い話が、支那人だの馬来《マレイ》だのハワイアンだの印度《インド》だの、西班牙《スペイン》だの伊大公《デイゴ》だの91――9+1=10で猶太《ジュウ》――だのと「その他多勢」いろいろと紛らわしいやつ[#「やつ」に傍点]が出没しているから、何事も必要は発明のおっかさんなりで、ちょいと石を投げる心もちでこの「やあ! 一人かね?」をやる次第で、これによって日本人という事も確
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