煙の旅を終えて北から南から西から東から巴里へ入市したまえ。
 ははあ! 君にとってそれは「暫《しばら》く空けていたふるさと」へ帰るこころもちだ。この、灯《ともしび》のつき初めた巴里の雑沓へ、北停車場《ガル・ドュ・クウ》なり聖《サン》ラザアルなりから吐き出される瞬間の処女のような君のときめき[#「ときめき」に傍点]、それほど溌剌《はつらつ》たる愉悦はほかにあり得まい。いつ来ても同じ巴里《パリー》が君の眼前に色濃く展開している。だから、鞄《かばん》を提げて一歩改札口を踏み出るが早いか、灯火とタキシと女の眼とキャフェの椅子と、巴里的なすべてのものがうわあっ[#「うわあっ」に傍点]と喚声を上げて完全に君を掴んでしまう。同時に君は、忻然《きんぜん》として君じしんの意思・主観・個性の全部をポケットの奥ふかくしまいこむだろう。こうして君は巴里の洗礼を受ける。するともう君は巴里人《パリジャン》という一個の新奇な生物に自然化しているのだ。君ばかりじゃない、土耳古《トルコ》人もせるびや[#「せるびや」に傍点]人も諾威《ノウルエー》人も波蘭《ポーランド》人もブラジリアンもタヒチ人も亜米利加《アメリカ》人も―
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