ィはだらりと椅子の背にかかっていた。下着とブルマスとコルセットと靴下だけのマアセルだった。が、間もなく彼女は、部屋のまん中でかなぐり[#「かなぐり」に傍点]捨てるように――上半身に柔かい電灯が滑って、光った。そして顎を引いたマアセルは、ちょこちょこ[#「ちょこちょこ」に傍点]と小走りに急いで、寝台の横へ行った。そこですべてを下へ抛《なげう》った。さあっと電灯の滑って光る部分が俄かに広くなった。あとは――マアセルはいま寝台の端に腰を下ろして――
美人マアセルの私生活。
SHhhh!
みんなの眼がずらりと壁に覗いているのを彼女は知らない。
ここで、マアセルを愕《おどろ》かせないように、しずかに、ごく静かに、いささか話しを後へ戻す必要があるのだ。
SHhhh! もう一度最初からはじめよう。
これより先、その夜九時半、中天に月|冴《さ》え渡るセエヌ河畔はアルキサンドル橋のたもとに、三々伍々、黙々として集《あつま》っている影坊子《かげぼうし》のむれがあった――と言うと、千八百何年かの革命党員の策動みたいで、これから暗殺でもはじまりそうでいかにも物騒だが、なあに同じ物騒は物騒でも、そんな時代めいた固っ苦しいんじゃない。その中のひとりが、今日私によって九月四日通りで捕獲された若い英吉利《イギリス》紳士である一事に徴しても判るとおりに、この群集こそは、これから一晩がかりで「夜の巴里《パリー》の甘い罪悪」を探り歩こうという、世にも熱烈な猟奇宗徒の一団であった。群集といったところで全十四人である。一たい巴里というところは、いつだってこの種の、アンリ親分に従えば「物欲しそうな面《つら》の金持ち」で、こんなことのためには即座に幾らでも投げ出そうという意気込みでふわふわ[#「ふわふわ」に傍点]となっている連中――多くは中年過ぎた外国人――をもって充満しているんだが、こういう「生きている幽霊」には、本国で紳士ぶっていなければならないせいか、妙にいぎりす人が多い。つぎは亜米利加《アメリカ》人だが、これあまあ大概の事物には興味を持つんだし、ことに金を出すことにかけちゃあ何にだって人後に落ちない気でいるんだから、この今夜の一隊《パアティ》も、例によってほとんど、英米両国の旅行者だけだったと言っていい。もちろん男ばかりである。
アンリ親分はまだ来ていない。
ところで、私が捕まえたのは若い英吉利《イギリス》人ひとりなのに、どうしてこう十何人も現れて鉢合せを演じているかというと、これは勿論、ゆうべLA・TOTOで親分が「なあにジョウジ、お前《めえ》のほうはそんなに当てにしやしねえ。俺が半日ぶらつけば何十人でも網にするんだ」と豪語したように、他はすべて今日親分が街上で網《ネット》にかけたものであろう。見渡すところ、私の若い英吉利人をはじめ独身らしいのも二、三居るようだが、どうも大部分は妻子と社会的地位のありそうな分別顔だ。それがみんな、自分一人と思って出かけて来たところが、意外にも未知の同好者がこうたくさん集合しているので、相互にすっかり照れちまって、或る者は、アレキサンドル橋の欄干からセエヌの銀流へ唾をして、果して真直ぐ落ちるかどうか試験したり、他は恐ろしく澄まし返って、中天に冴え渡る月をそぞろ[#「そぞろ」に傍点]に仰いだり、または、あわてて憐寸《マッチ》をくわえて煙草を擦《こす》ろうとしたり―― in a word、どの影法師も困り入ってただやたらにうろうろしている――。
大入満員「ラ・トト」の一卓でアンリ親分が打ち開けた言葉を、僕は思い出す。
『なあジョウジ、』と親分がいったのである。『この巴里《パリー》って町にゃあ物凄《ものすげ》えとこがあるってんで、早《はえ》え話が、いぎりす人やめりけん[#「めりけん」に傍点]なんか、汗水流して稼いだ金で遥《はる》ばるそいつを見にやって来るてえくれえのもんだ。だからよジョウジ、だから俺の商売《しょうべえ》てえのは、まあ早く言えば案内者《ガイド》だが、この物欲しそうな面《つら》の外国《げいごく》の金持ちをあつめて、一晩そんなところを引っ張りまわしてやるんだ。お前《めえ》のめえだが、それあすげえところがあるよ。何しろお前《めえ》、巴里だからなあ――もう十何年もやってるんだが、いくら馬鹿金《ばかがね》が儲かっても、そこはよくしたもんで馬鹿金を費《つか》うから、俺って人間はいつまで経っても同じこった。あははははは、ま、明日からお前《めえ》にもそっちのほうへ働いてもらうさ。』
さて、これですっかり解ったろうと思うが、つまり親分アンリ・アラキは、「脱走船員」の私を助手に十余人の「生ける幽霊」を引具《ひきぐ》し、今から朝まで順々にその物凄《ものすげ》えところを廻ってあるこうというのだ。妙な稼業もあったものだが、これも
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